熊本

思い出の熊本ラーメン「龍虎」(熊本市中央区本山)

熊本ラーメン「龍虎」
なんでんうまか店 熊本市の迎町で生まれ育った私の実家から徒歩1分の近所に、創業昭和47年(1972年)の老舗ラーメン店「龍虎」がある。私の心の中に残る特別な場所だ。 キャッチコピーは “なんでんうまか店”。“なんでも旨い店” という意味。ラーメン店として知られているが、キャッチコピーの通り、ラーメンや餃子のほかにもちゃんぽん、焼きそば、太平燕(タイピーエン)、丼もの、おつまみ系などもあり、メニューは幅広い。 店は、町内のメインストリートである産業道路(県道22号線)に面している。下の写真は、私が1993年と2013年に本山歩道橋から迎町側を定点撮影した産業道路。「龍虎」は、通りの左側にある。通りの雰囲気は、現在も当時と基本的にはあまり変わらない。 本山歩道橋から迎町側を定点撮影した産業道路の風景。 龍虎のおっちゃん 長年ご夫婦で店を切り盛りされていて、地域に密着し、多くの人々に愛され続けている。とりわけ、明るく元気いっぱいの店主・牛島さんは、当時から向山校区の有名人だった。 優しくて面倒見のいい牛島さんは、町内の子供たちにとっても親しみやすかった。私と友人たちは、小学生の頃から親しみを込めて “龍虎のおっちゃん” と呼んでいたので、この記事では以後この呼び名で統一することにする。* *口語では「龍虎のおっちゃん」の「の」の発音は「ん」に近く、“龍虎んおっちゃん” となる。さらに「ん」は限りなく省略され、実際には “龍虎おっちゃん” と呼んでいた。 忘れられない思い出 私は小学生の頃、同級生二人と通学路にある「龍虎」のドアから店内を覗き、龍虎のおっちゃんがこちらに気がつくと「わー」と叫びながら走り去って遊んだりしていた。 ある土曜日、お昼に小学校が終わっていつものように同級生二人と「龍虎」の入り口から店内を覗いて遊んでいた。ところがこの日はいつもと様子が違い、龍虎のおっちゃんは私たちを店内に招き入れ、カウンターに座らせた。ついに怒られるのかと思ってビクビクしていたら、なんと私たち一人ずつにラーメンをご馳走してくれた。めちゃめちゃ美味しかった。この出来事は、「龍虎」の一番の思い出として今でも鮮明に心に残っている。 私が毎日登下校していた通学路に「龍虎」がある。 入り口からみた店内の様子。私が小学生だった1980年代は厨房は正面にあり、カウンター席が横に並んでいた。 俺の地元のラーメン それからも、2001年にハワイに移住するまで、私は「龍虎」を何度も訪れた。ことあるごとに出前も注文した。特に、ラーメンと焼きめしは絶品だった。大学時代には、当時のガールフレンドを店に連れて行って龍虎のおっちゃんに彼女を紹介し、“俺の地元のラーメン” を彼女に自慢したりした。 豚骨のみをじっくりと煮込んだ絶品のラーメン。 香ばしい焼きめし。 25年ぶりの再訪 先日、コロナ禍以来初めて、約4年ぶりに熊本に帰省した際に、25年ぶりに「龍虎」を訪れた。今回は、妻と二人の子供たちと一緒だった。店の雰囲気、匂い、ラーメンと焼めしの味、なにもかもがたまらないほど懐かしい。ハワイ生まれの3歳の長男も「おいしい、おいしい」と言って、本場のクラシックな熊本ラーメンを堪能していた。 そしてなんといっても、再会した元気な龍虎のおっちゃん。今年で81歳だという彼は、その年齢を感じさせない若々しさと活気を持っておられた。今でも当時と変わらず自ら原付バイクで出前も担当されていた。奥様もお元気そうだった。帰り際には、私の母へのお土産まで頂き、その心温まる対応に感謝の気持ちでいっぱいとなった。 ちなみに、小学生の私と同級生二人にラーメンをご馳走してくれた40年近く前の土曜日の昼の出来事は、おっちゃんは全く覚えていない様子だった。 相変わらず若々しくて元気いっぱいの龍虎のおっちゃん。 出前箱。コック帽をかぶった龍虎のおっちゃんのイラストは私の子供の頃から変わっていない。 店の外観。 なんでんうまか店 熊本ラーメン龍虎 本山本店 熊本市中央区本山1丁目4-10096-354-6855ウェブサイト:ryuko-ramen.com ※写真はすべて筆者による撮影で、牛島さんご夫妻の承諾を得たうえで掲載しています。

天草旅行(2015年8月)

﨑津教会
特別な場所 現在、『ダイヤモンドヘッド三十六景』というイラストをシリーズで描いている。葛飾北斎の有名な『富嶽三十六景』へのオマージュだが、これとは別に、私がハワイと同じくらい好きな天草諸島(熊本県)をテーマにしたイラストを描きたいという思いが、年々こみ上げてきている。 天草は、私にとって少年時代からの思い出がたくさん詰まった特別な場所なのだが、これまでは、それぞれの島のそれぞれの地域がもつ多彩な風景や風土が、漠然と好きなだけだった。しかし、天草をテーマにしたイラストを描くためには、これからもっとたくさん四季折々の天草を訪れて、自然、歴史、文化に触れなければならない。 『牛深ハイヤ』| 絵:崎津 鮠太郎 2015年8月の一人旅は、そういう思いを込めた最初の天草旅行だった。3日間しかなく、訪ねるのを割愛した場所がたくさんあった。史跡や景勝地にはほとんど行かなかったし、天草の中でも私が特に好きなエリアのひとつである上島南岸(姫戸、龍ケ岳、倉岳など)もまるごとカットした。天草を題材にした作品数点を残した川瀬巴水の足跡を辿ったりもしたかったが、できなかった。 ハワイで暮らしている私が今後どのくらい頻繁に天草を旅行できるかわからないが、今回は、まずは下見というか、天草の魅力と私の島々への思いをあらためて確認するための旅だった。 7年ぶりの天草路 午前8時、レンタカーで熊本駅前を出発し、天草へ。2009年4月に牛深ハイヤ祭りを観に行って以来、7年ぶりの天草だ。国道3号線から宇土で国道57号線を右折。宇土半島の北岸を三角方面に進む。子供の頃から数え切れないほど通った、懐かしのコース。 宇土半島の先端近くに、三角西港がある。世界遺産『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成資産のひとつである。この旅の約1ヶ月前、7月5日に登録されたばかりであった。三角西港を過ぎ、宇土半島と天草諸島の最初の島である大矢野島を結ぶ天門橋(天草五橋一号橋)を渡る。橋のすぐ北側には、新天門橋(仮称)の建設が進められていた。 大矢野島の天草四郎観光協会に立ち寄ってパンフレットを数冊入手後、天草パールラインを進み天草上島へ。松島からは有料道路があるが、海岸や港町の景色を楽しみたいので下道(国道324号線)をのんびりとドライブした。道の駅有明リップルランドでトイレ休憩して、本渡へ。島子あたりから天草瀬戸大橋までひどい渋滞だった。ようやく渋滞を抜け、本渡の水の平焼を訪ねた。 水の平焼 今回購入した青海鼠の猪口、丸皿、赤海鼠の飯椀 天草には天草陶磁器の窯元が諸島各地に点在する。水の平焼(みずのたいらやき)はそのひとつで、創業は1765年と古い。海鼠釉(なまこゆう)と呼ばれる独特の釉薬で知られていて、青海鼠(あおなまこ)と赤海鼠(あかなまこ)がある。青海鼠の猪口と丸皿、赤海鼠の飯椀を購入した。ハワイで使うのが楽しみだ。 新和町のハマボウ ハマボウの花(新和町) 本渡で昼食をとったあと、新和町のハマボウ群生地へ向かった。花の時期は少し過ぎていたが、わずかながらまだ咲いていた。生育に適した環境が減っていることから、個体数は全国的に減少傾向にある。新和のような大きな規模の群生地は全国でも珍しいという。2009年より『天草市の花』に指定されている。ハワイで見られる、同じアオイ科フヨウ属の在来種ハウ(オオハマボウ)に似ている。ハマボウ群生地をあとにして、小宮地から県道289号線を右折、山あいを抜けて、国道266号線に出る。次の目的地は、﨑津だ。 﨑津 﨑津灯台 﨑津を訪れたのは、2008年以来、8年ぶりだった。﨑津集落は、『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』を構成する資産のひとつとして、世界遺産の暫定リスト掲載が決定していて、2016年の登録が期待されていた。そのため観光客向けの案内所や休憩所などができていて、雰囲気は以前と少し変わっていた。 ちなみにその後、推薦内容に不備があるということで、2016年の世界遺産登録はなくなったが、構成資産を見直し、2018年の登録に向けて再推薦するという。 ランタナの花とモンキアゲハ(﨑津) トビ(﨑津) この日予定していた行程は終わったが、まだ日が高い。﨑津の夕景も見たいが、夕方まで数時間ある。諏訪神社からチャペルの鐘展望公園まで登って汗だくになったので、﨑津から車で約15分の河浦町にある愛夢里(あむり)という総合交流施設の温泉で汗を流して、再び﨑津に戻ってくることにした。 愛夢里もまた懐かしい場所だ。2000年の秋、幼馴染たちと天草で遊んだときに、当時オープンして1年ちょっとだった愛夢里に泊まった。15年前の思い出にふけりつつ、湯に浸かった。 日没前、﨑津の夕景を堪能したあと、本渡に戻り、町の中心部にあるホテルにチェックインした。雨が降り始めた。 牛深 雨のため早朝に出かける予定は中止した。ホテルでゆっくりして、遅めのチェックアウト。まずは、雨のなか中央新町にある天草宝島観光協会にいってパンフレットを調達した。女性の係員のかたがとても親切に応対してくださった。街中で朝食をとって、天草の最南端、牛深へ向かった。 6年ぶりの牛深。まずは遠見山に行ってみたが雨のため車外に出る気にならない。車で町中をまわったあと、前もって連絡しておいた、牛深に住む叔父を訪ねた。夏休みなので大学生の従妹も帰ってきていた。みんなで昼食をとった。 浅海 叔父の家を出て、浅海(あさみ)へ向かった。浅海は、牛深の町から下島東海岸を車で30分ほど北上したところにある、浅海湾沿いの集落。子供のころ義理の伯父に教えてもらった魚釣りの穴場で、何度も釣りに通った思い出の場所。夕まずめには港の堤防の真下で、リールを使わないノベ竿でクロ(メジナ)が面白いほど簡単に釣れたし、移動ウキでチヌ(クロダイ)も狙えた。また干潮時には港外西側の岩場が現れ、夏から秋にかけてはそこから投げ釣りでキスがたくさん釣れた。 浅海湾は、雨のせいか海が茶色く濁っていた 16年ぶりに訪れた浅海は、海が茶色く濁っていた。雨のせいだろうか。今でも昔のようにたくさんの魚がいるのだろうか。 大江のハマユウ 浅海から﨑津を経由して大江へ移動した。目当てはハマユウの自生地。花は咲いていたが、潮の飛沫をともなった風があまりにも強くて、カメラを長く外に出していられなかった。 大江から下島西海岸を北上。高浜の高浜焼寿芳窯に立ち寄ったあと、苓北町に入る。雨のなか富岡のホテルにチェックイン。雨と湿気のため外に出る気がせず、ホテルのレストランで夕食をとった。 四季咲岬公園 ハマユウの花とモンキアゲハ(四季咲岬公園) 早朝にホテルをチェックアウトして、富岡半島の西端にある四季咲岬(しきさきみさき)公園へ。遊歩道やトレイルが整備されていて、四季の植物を手軽に楽しむことができる。ここであらためて、ハマユウやハマボウをゆっくりと観察することができた。 永浦島のハクセンシオマネキ ハクセンシオマネキ(永浦島) 富岡からいっきに松島まで移動した。目当ては、永浦島のハクセンシオマネキ。スナガニ科の小型のカニで、甲羅の長さは2cmくらい。雄の片方のハサミが異様に大きい。繁殖期の6~8月にはその大きなハサミを振る「潮招き」とよばれる求愛行動が見られる。永浦島はハクセンシオマネキの日本有数の生息地として知られている。 干潟に行ってみると、無数にいた。私が近づくとサッとすべて穴に隠れてしまうが、その場でしばらくじっとしていると、やがて一匹、また一匹と次々に穴からでてくる。炎天下で暑かったが、飽きずにずっと観察した。 最後に維和島の蔵々窯に行ってみたが、残念ながら閉まっていた。大矢野島のスパタラソ天草の温泉に入って汗を流したあと、熊本に帰った。 写真はすべて筆者による撮影