崎津 鮠太郎

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思い出の熊本ラーメン「龍虎」(熊本市中央区本山)

熊本ラーメン「龍虎」
なんでんうまか店 熊本市の迎町で生まれ育った私の実家から徒歩1分の近所に、創業昭和47年(1972年)の老舗ラーメン店「龍虎」がある。私の心の中に残る特別な場所だ。 キャッチコピーは “なんでんうまか店”。“なんでも旨い店” という意味。ラーメン店として知られているが、キャッチコピーの通り、ラーメンや餃子のほかにもちゃんぽん、焼きそば、太平燕(タイピーエン)、丼もの、おつまみ系などもあり、メニューは幅広い。 店は、町内のメインストリートである産業道路(県道22号線)に面している。下の写真は、私が1993年と2013年に本山歩道橋から迎町側を定点撮影した産業道路。「龍虎」は、通りの左側にある。通りの雰囲気は、現在も当時と基本的にはあまり変わらない。 本山歩道橋から迎町側を定点撮影した産業道路の風景。 龍虎のおっちゃん 長年ご夫婦で店を切り盛りされていて、地域に密着し、多くの人々に愛され続けている。とりわけ、明るく元気いっぱいの店主・牛島さんは、当時から向山校区の有名人だった。 優しくて面倒見のいい牛島さんは、町内の子供たちにとっても親しみやすかった。私と友人たちは、小学生の頃から親しみを込めて “龍虎のおっちゃん” と呼んでいたので、この記事では以後この呼び名で統一することにする。* *口語では「龍虎のおっちゃん」の「の」の発音は「ん」に近く、“龍虎んおっちゃん” となる。さらに「ん」は限りなく省略され、実際には “龍虎おっちゃん” と呼んでいた。 忘れられない思い出 私は小学生の頃、同級生二人と通学路にある「龍虎」のドアから店内を覗き、龍虎のおっちゃんがこちらに気がつくと「わー」と叫びながら走り去って遊んだりしていた。 ある土曜日、お昼に小学校が終わっていつものように同級生二人と「龍虎」の入り口から店内を覗いて遊んでいた。ところがこの日はいつもと様子が違い、龍虎のおっちゃんは私たちを店内に招き入れ、カウンターに座らせた。ついに怒られるのかと思ってビクビクしていたら、なんと私たち一人ずつにラーメンをご馳走してくれた。めちゃめちゃ美味しかった。この出来事は、「龍虎」の一番の思い出として今でも鮮明に心に残っている。 私が毎日登下校していた通学路に「龍虎」がある。 入り口からみた店内の様子。私が小学生だった1980年代は厨房は正面にあり、カウンター席が横に並んでいた。 俺の地元のラーメン それからも、2001年にハワイに移住するまで、私は「龍虎」を何度も訪れた。ことあるごとに出前も注文した。特に、ラーメンと焼きめしは絶品だった。大学時代には、当時のガールフレンドを店に連れて行って龍虎のおっちゃんに彼女を紹介し、“俺の地元のラーメン” を彼女に自慢したりした。 豚骨のみをじっくりと煮込んだ絶品のラーメン。 香ばしい焼きめし。 25年ぶりの再訪 先日、コロナ禍以来初めて、約4年ぶりに熊本に帰省した際に、25年ぶりに「龍虎」を訪れた。今回は、妻と二人の子供たちと一緒だった。店の雰囲気、匂い、ラーメンと焼めしの味、なにもかもがたまらないほど懐かしい。ハワイ生まれの3歳の長男も「おいしい、おいしい」と言って、本場のクラシックな熊本ラーメンを堪能していた。 そしてなんといっても、再会した元気な龍虎のおっちゃん。今年で81歳だという彼は、その年齢を感じさせない若々しさと活気を持っておられた。今でも当時と変わらず自ら原付バイクで出前も担当されていた。奥様もお元気そうだった。帰り際には、私の母へのお土産まで頂き、その心温まる対応に感謝の気持ちでいっぱいとなった。 ちなみに、小学生の私と同級生二人にラーメンをご馳走してくれた40年近く前の土曜日の昼の出来事は、おっちゃんは全く覚えていない様子だった。 相変わらず若々しくて元気いっぱいの龍虎のおっちゃん。 出前箱。コック帽をかぶった龍虎のおっちゃんのイラストは私の子供の頃から変わっていない。 店の外観。 なんでんうまか店 熊本ラーメン龍虎 本山本店 熊本市中央区本山1丁目4-10096-354-6855ウェブサイト:ryuko-ramen.com ※写真はすべて筆者による撮影で、牛島さんご夫妻の承諾を得たうえで掲載しています。

日本酒そのものをブランディング:世界への扉を開く鍵

若竹 鬼ころし 純米大吟醸
野鳥、ボブ・ディラン、天草、ハワイ、日本酒など、私が好きで好きでしかたがないものはいくつかあるが、不思議なことに日本酒関連のデザインの仕事だけはたくさん入ってくる。 アメリカとヨーロッパで日本酒の輸入販売をおこなうWorld Sake Imports、日本国外最大の日本酒イベントの一つThe Joy of Sake、アメリカの日本酒EコマースTippsyなどで、長年にわたってクリエイティブディレクションを担当させてもらっている。 私はこれらの会社のウェブサイトをすべてデザインしてきたが、制作の過程で、英語による日本酒のカテゴリ分類、名称の英訳、商品の魅せ方など、散々考え込み、試行錯誤してきた。 そんな私が、デザイナーの立場から思うのは、日本酒をさらに広く世界で飲まれるようにするためには、まず「日本酒」そのものにブランディングが必要なのではないかということである。 World Sake Imports ウェブサイト 個別銘柄のファンよりもまずは “日本酒のファン” を増やすべき 「黒龍や新政などのそれぞれの銘柄自体がしっかりブランディングされたブランドではないか」 と思われるかもしれない。それはそうなのだが、まだ日本酒の価値がしっかりと認知されていない海外では、まずは各銘柄より上の階層である「日本酒というカテゴリ」自体を、強力なプレーヤーが腰を据えてブランディングすべきだと思うのだ。 そして、“Spread the love of sake” を合言葉にたった5年でアメリカ最大の日本酒プラットフォームに成長したTippsyは、少なくとも日本酒の最大輸出先であるアメリカにおいては、そのプレーヤーになろうとしている。 関連ページ Tippsy Sake(アメリカの日本酒EC) 崎津鮠太郎 寿司やアニメとの違い 「寿司やアニメは、誰かがカテゴリ自体のブランディングをやったわけではないのに世界に広まったではないか」 とも思われるかもしれない。それも確かにその通りだが、食品である寿司と、娯楽コンテンツであるアニメは、より広い市場に向けて展開できるし、比較的容易に異文化に受け入れられる側面がある。 一方で日本酒は、アルコール飲料であり、嗜好品である。消費のシーンやターゲット市場は寿司やアニメと比べると限定されるし、価値の提案の仕方が飲み方、製造方法、産地の特性など多岐にわたり、これらを効果的に伝えるためには、専門的な知識と教育が求められる。深い背景を伝えるための異なるアプローチが必要だと思うのだ。 まずは日本酒を正しく知ってもらい、ファンになってもらう 八海山 純米大吟醸 雪室貯蔵三年 ここでいうブランディングとは、価値を一貫したイメージで形成し消費者に認知させることで顧客ロイヤリティを獲得するプロセスのこと。 要するに「できるだけ知ってもらい、ファンになってもらうこと」である。 知って驚き、飲んで感動し、世界観に共感し、ファンになり、他の人にも勧める。これがブランディングの強みだ。 「日本酒は世界に誇れる素晴らしい飲み物だから海外でも売れるだろう」 みたいな楽観的なマインドでは、おそらく大きな成功は望めない。日本のマーケットとは当然異なる消費者の価値観、ニーズ、習慣などをしっかりとマーケットリサーチしたうえでの効果的なブランディング戦略が必要なことは言うまでもない。 このブランディング戦略を、酒蔵や銘柄単位ではなく、日本酒というカテゴリそのものに対してやることができれば、日本酒は今よりもっとたくさんのファンと醸造所を世界中に持つ、ワインのようなカテゴリになれるのではないか。 価値を伝えることの難しさ 先日、Tippsyでとある生酒を買ったところ、瓶が透明の袋に入っていた。袋には「紫外線を通しにくいUVカットフィルムを使用しています」と日本語で書かれてあった。Tippsyが付けたものではないので、酒蔵が自主的に提供していると思われる。 長年アメリカで暮らしていると、日本の商品のこういう細やかな気配りにはほんとうに驚かされる。物作りのレベルが高い日本では当たり前のことなのかもしれないが、海外の私は “すごい” と思った。 ただ、日本語で書かれているため、海外ではUVカットフィルムであることは知られることなく捨てられるだけだろう。「UVカットフィルムを使って品質保持にこだわっている」という “価値” を、伝えそびれているわけだ。もったいない。英語でも書くべきだ。 こういう、一つ一つの小さな “価値” を、取りこぼさないように丁寧にすくい上げて世界に向けて伝えていくことが日本酒のブランディングには大切だと思う。 しかし、言葉の壁もあって、これがなかなか難しい。目先の売上には直接繋がりにくい、地味な作業がどうしても多くなるが、経営陣が長期目線を持ってブランディングの重要性を理解してさえいれば不可能ではないはず。実際、Tippsyでは厳密なエディトリアルガイドラインを設けることや、迅速かつ正確に魅力的なコンテンツをアクティブに発信し続けるチーム体制を整えるなどして、長期戦略として具体的に実践しようとしている。 日本酒が世界の “Sake” になる日 日本酒が持つ歴史、伝統、文化、技術、革新、ストーリー、味わい、バラエティ、ペアリングなどの諸価値は、ワインにも負けないポテンシャルがあるということは多くの人が賛成してくれるだろう。 これらの価値をいかに上手に世界に伝えるか——つまり日本酒自体の国際的なブランディングを上手にできるかどうか。日本酒が世界への扉を開く鍵はここにある気がしている。 いろんな縁があって、日本酒を世界に広げるという楽しい挑戦に、微力ながらデザイナーとして長年にわたって従事させてもらえることはとても光栄だ。この挑戦を続け、世界中に日本酒の素晴らしさを広めていきたい。日本酒が世界の “Sake” になる日を夢みて。 乾杯!

日本酒EコマースTippsyのオリジナルトートバッグ

Tippsyトートバッグ『Team Warm』
Tippsyについて Tippsy(www.tippsysake.com)は、アメリカで日本酒をオンライン販売するベンチャー企業で、カリフォルニア州ロサンゼルスに拠点がある。300銘柄をこえる日本酒をボトルで販売してるほか、300mlのミニボトルが6本入った『Sake Box』のサブスクリプションも提供している。2018年の創業以来、私はクリエイティブディレクターとしてウェブサイトや印刷物のデザインやブランディングを担当している。 関連ページ Tippsy Sake 崎津鮠太郎デザインポートフォリオ Facebook内のトピックからできたプロジェクト Tippsyは『Tippsy Sake Club』というFacebookグループを開設していて、1000名をこえるメンバーによる活発な交流がオンラインで行われている。ある日、メンバーの一人からこんな投稿があった。 “When drinking sake, are you Team Chill or Team Warm?” 冷酒派のことを「Team Chill」、燗酒派のことを「Team Warm」と投稿者が名付けて、「日本酒を飲むとき、あなたはTeam ChillですかTeam Warmですか?」と聞いてみたわけである。この投稿には70以上の面白いコメントが寄せられ盛り上がった。 この盛り上がりをうけて、TippsyではTeam ChillとTeam Warmのグッズを作ることになった。Tシャツやコースターなどのアイディアもあったが、最初のグッズはトートバッグに決まった。私がイラストを描くことになった。ちなみに常夏のハワイでも「酒は純米、燗ならなお良し」を実践している私は、断然Team Warmである。 私はもちろんTeam Warm! トートバッグ制作会社を探す インターネットでいくつかのトートバッグ制作会社を探した結果、Enviro-Toteという1990年からトートバッグを作っている家族経営の会社がよさそうだった。クオリティの高いアメリカ製トートバッグは高い評価を得ているようだった。なによりもウェブサイトが見やすかったのが決め手となった。 Enviro-Toteの担当者とメールで見積もりやカスタマイズ依頼のやり取りをしていくうちに、カスタマーサービスの質が高い信頼できる会社であることがわかってきた。返事はすぐに来るし、的確かつ誠実に当方の質問や要望に答えてくれた。カスタマーサービスは最後まで大変満足のいくものだった。 イラストの作成 冷酒と燗酒をテーマにイラストを描くことになったわけだが、ありきたりのものでは面白くない。なにかユーモラスでファンタジックなものにしたいと思い、Team Chillでは人魚が冷酒を飲んでいて、Team Warmでは女性が盃の風呂に浸かって燗酒を飲んでいるというアイディアに行き着いた。 最初のドローイング アイディアをスケッチにしてTippsyのスタッフに見せてみたところ気に入ってもらえた。まずはTeam Chillのトートバッグを作ることになった。 イラストは目の粗いキャンバス生地に直接プリントされるため、線が細い精密な描写はできない。Enviro-ToteのスペックシートにはAdobeイラストレーターで1.5ポイントより細い線は使うべきではないと書かれている。印刷されない部分の隙間も2ポイント以上が推奨されている。このことに注意を払いながらイラストレーターで作画した。結果的に最初のドローイングよりもかなり簡素化されたイラストになった。 簡素化された最終的なベクターアート 完成 Tippsyトートバッグ『Team Chill』 Tippsyトートバッグ『Team Warm』 完成品のトートバッグはとてもいい出来栄えだった。幅46センチ、高さ37センチの丈夫なバッグは一升瓶でも十分に運べそうだ。バッグの内側にはスマホや財布が入る大きめのポケットがついていて、使い勝手がいい。 スクリーンプリントされたアート 小物入れに便利な内ポケット トートバッグは、Tippsyのウェブサイト(www.tippsysake.com)で販売されている。

カイムキのピルボックス・ファーマシーが閉店

ピルボックス・ファーマシー
寂しいニュース 「ピルボックスが閉店するらしいよ……」 「えっ?」 2020年9月の初めに飛び込んできた、ショッキングなニュースだった。 ピルボックスとは、ホノルル市カイムキ地区の11thアベニューにある小さな薬局『The Pillbox Pharmacy』のこと。1974年に現在の場所にオープンして以来、半世紀近くにわたって多くの住民に親しまれてきた店だ。 薬の他に日用品、雑貨、文房具、スナック菓子、ハワイ土産なども売っている。特に、オレゴン州のカスケード・グラシア社(Cascade Glacier)のアイスクリームが有名な店でもある。 正面入口から見た裏口側。裏口が階段を4段上がって高くなっているのは坂の町カイムキならでは オレゴンのカスケード・グラシア社のアイスクリーム ジェームス・リー・マッケルヘイニー氏 初代オーナーは “Head Pill” や “Mac” の愛称で知られたシカゴ出身のアイルランド系薬剤師、ジェームス・リー・マッケルヘイニー氏。患者ファーストの姿勢を貫き、いつも親身に相談に乗って顧客との信頼関係を築きあげた。家族経営の小さな店ながら、チェーン店のドラッグストアとの競争に負けることなく切り盛りしてきた。 シカゴで薬局を営んでいたマッケルヘイニー氏は、1960年代に妻のローズマリー氏とバケーションでハワイを訪れた。二人ともハワイがすっかり気に入り移住を決意。3人の子供を連れてホノルルに引っ越した。 クイーンズホスピタルやアイナハイナの薬局で働いたのち、1974年11月に独立店をカイムキの現在の場所に開いた。故郷シカゴの彼が生まれ育った界隈の雰囲気にカイムキが似ていたためこの場所を選んだのだそうだ。 開業当時はアイスクリームの他にサンドイッチも売っていたという。 地元民に愛されたマッケルヘイニー氏だったが、2007年3月9日に79歳で他界した。白血病を患っていたが、当時の約6000人の彼の顧客の多くは、彼が病気であることすら知らなかったらしい。 奇しくもアイリッシュの祭典であるセントパトリックス・デーの一週間前だった。セントパトリックス・デーの後、ダウンタウンのアイリッシュパブ『O’Toole’s』で追悼の会が開かれた。過去の従業員たちやマッケルヘイニー氏の多くの顧客が訪れたそうだ。 新型コロナで経営難に ピルボックスは、マッケルヘイニー氏の息子であるスチュアート・マッケルヘイニー氏が受け継いだ。父のモットーを守り、顧客と密着した経営スタイルで今日まで店の看板を守ってきた。 ところが、大型チェーンのドラッグストアがホノルル市内に増えるにつれて、経営は厳しくなっていった。そこに今年の新型コロナのパンデミックがダメ押しとなり、閉店することになった。店を受け継いだ2007年には1日平均130件ほどあった処方薬のオーダーは、現在では1日10軒以下しかないという。 最後のアイスクリーム 数十年間ほぼ変わらない雰囲気の店内 年季の入ったアイスクリームケース 店の中も外の様子も、私がカイムキで暮らし始めた2001年当時から約20年間ほとんど変わっていない。いや、店の古い写真から察するに、むしろ開店当時からそれほど大きくは変わっていないのではないか。 ピルボックスのような個人経営の薬局は、現在ハワイ州内に約10軒ほどあるそうだが、そのうちの1軒が今ひっそりと看板を下ろそうとしている。カイムキは古いホノルルの雰囲気を残す老舗が比較的多いエリア。そのうちの代表的な店の一つがなくなってしまうのはほんとうに寂しい。 「ピルボックスが閉店するらしいよ」 とローカルの同僚に教えると、すぐに彼から返ってきた言葉は 「なんてこったい……よし、じゃあ、アイスクリーム買ってきてオフィスのみんなで食べよう」 もちろん賛成。ピルボックスが46年の歴史の幕を下ろすのは11月14日。それまでにできるだけたくさんピルボックスのアイスクリームを食べて、古き良きカイムキの思い出に浸りたい。 写真はすべて筆者による撮影 参考記事 The Pillbox Pharmacy, a Kaimuki fixture for 46 years, to close its doorsPillbox Pharmacy in Kaimuki to close after 46 years in business'Mac' made The Pillbox a fixture

月別・季節別にみるハワイの花と歳事記

ゴールドツリー
はじめに 日本在住の方から「今度ハワイに行くときに目当の花が咲いているのかどうかを知りたい」という内容のお便りをいくつかいただいたので、月別・季節別に分けたハワイの花の一覧表を作ることにした。 この表を作るために、私は2018年1月から日々の生活のなかで花の開花時期と咲き具合に特に注意して観察メモをつけ続けてきた。観察は今後も続けていく予定なので、気候の変動によって変化が見られた場合や、ある花は咲かないと思っていた月に開花が観察された場合などには、随時更新していく。 表は、本やネットから得た情報ではなく、私自身の年間を通した観察に基づいて作ったものなので、当然、私が普段暮らしているホノルル市内、特にカイムキ地区やカハラ地区での観察記録が多い。そのため、たとえホノルルでも他の地域とは多少の差異があるかもしれない。あくまでも参考程度にしていただきたい。 ホノルル以外では、オアフ島ワヒアワのカンヒザクラと、マウイ島クラのジャカランダの2種は、特に知りたい方が多いと予想されるので例外的に追加した。 ホノルル市内でも山間部に入ればオーヒア・レフア、コア、マウンテン・ナウパカなどの固有種の花も見られるが、年間を通した開花のデータを得ていないので表には入れていない。 このページに記した植物の解説は省略する。それぞれの花について詳しく知りたい方は、私が公開している姉妹サイト『アヌヘア:ハワイの花・植物・野鳥図鑑』や、近藤純夫さんの著書『ハワイアン・ガーデン 楽園ハワイの植物図鑑』などをご覧いただきたい。 表の記号の見方 たくさん咲いている◎咲いている○少し咲いている、あるいはその月の一部期間のみ咲いている△咲いていない×データ不足? 春の花(3月・4月・5月) プルメリア(グローブ・ファーム) ジャカランダ(シウンボク) ハワイでも春は花の季節。ハワイの都市部で春の訪れを告げる花といえば、やはりプルメリアだろう。冬に全く花をつけないわけではないが、暖かくなると花が増え始め、4月頃には町はふくよかな香りに包まれるようになり、春爛漫を感じさせる。 マウイ島のクラ、プカラニ、オリンダやハワイ島のコハラなどにはたくさんのジャカランダ(シウンボク)が植えられており、春に美しい紫色の花をつける。 森では、コア、マーマネ、アーカラなど多くの固有種たちが春に花のピークを迎える。 3月4月5月オクトパスツリー(ハナフカキ)○○○カンヒザクラ(オアフ島ワヒアワ)×××ゴールドツリー◎◎○ジャカランダ(マウイ島クラ)○○◎シャワーツリー(ゴールデン)×△○シャワーツリー(ピンクアンドホワイト)△△○シャワーツリー(ピンク)×◎○シャワーツリー(レインボー)△△○ハラ???ピーカケ○○○ピタヤ××△プルメリア(オブツサ種)○○○プルメリア(ルブラ種)○◎◎ホウオウボク(ロイヤル・ポインシアナ)△○○ホンコン・オーキッドツリー○○○モンキーポッド△○◎ 夏の花(6月・7月・8月) レインボーシャワー(ウィルヘルミナ・テニー) モンキーポッド ハワイに長く住む人が「ハワイの夏の花といえば?」と聞かれれば、多くがレインボーシャワー、中でも特にウィルヘルミナ・テニーを挙げるだろう。様々なトーンからなるピンク色の花を木いっぱいにつける姿は圧巻である。また、『この木なんの木』で有名なモンキーポッドは、初夏にピンク色の花が満開になる。 6月7月8月オクトパスツリー(ハナフカキ)○◎◎カンヒザクラ(オアフ島ワヒアワ)×××ゴールドツリー○○×ジャカランダ(マウイ島クラ)○××シャワーツリー(ゴールデン)◎○△シャワーツリー(ピンクアンドホワイト)○○△シャワーツリー(ピンク)△××シャワーツリー(レインボー)○◎◎ハラ??△ピーカケ○○○ピタヤ△△△プルメリア(オブツサ種)○○○プルメリア(ルブラ種)○○○ホウオウボク(ロイヤル・ポインシアナ)○○○ホンコン・オーキッドツリー△△△モンキーポッド◎○○ 秋の花(9月・10月・11月) ピタヤ 夏から秋にかけての夜には、「ハワイの月下美人」とも言われるピタヤが1シーズンに数回だけゴージャスで神秘的な花をつける。ホノルルのプナホウ・スクールの生垣が特に有名。 9月10月11月オクトパスツリー(ハナフカキ)◎○○カンヒザクラ(オアフ島ワヒアワ)×××ゴールドツリー×××ジャカランダ(マウイ島クラ)×××シャワーツリー(ゴールデン)△△△シャワーツリー(ピンクアンドホワイト)△△×シャワーツリー(ピンク)×××シャワーツリー(レインボー)○○△ハラ?△△ピーカケ○○○ピタヤ△△△プルメリア(オブツサ種)○○△プルメリア(ルブラ種)○△△ホウオウボク(ロイヤル・ポインシアナ)○○○ホンコン・オーキッドツリー△○○モンキーポッド○○○ 冬の花(12月・1月・2月) カンヒザクラ ホンコン・オーキッドツリー オアフ島の内陸部に位置するワヒアワや、ハワイ島のワイメアでは、日系人によって植えられたカンヒザクラが1月から2月にかけて濃いピンクの花をつけ、町の人たちの目を楽しませる。ワイメアでは1993年より毎年2月に桜祭りも開かれている。また、ラン(オーキッド)に似た紫紅色の美しい花が人気のホンコン・オーキッドツリーも冬に花のピークを迎える。 12月1月2月オクトパスツリー(ハナフカキ)○△△カンヒザクラ(オアフ島ワヒアワ)×△△ゴールドツリー××○ジャカランダ(マウイ島クラ)×××シャワーツリー(ゴールデン)×××シャワーツリー(ピンクアンドホワイト)×××シャワーツリー(ピンク)×××シャワーツリー(レインボー)△△△ハラ△?△ピーカケ△△○ピタヤ×××プルメリア(オブツサ種)△△△プルメリア(ルブラ種)△△△ホウオウボク(ロイヤル・ポインシアナ)△△△ホンコン・オーキッドツリー◎◎◎モンキーポッド△△△ ハワイで一年中見られる花 ビーチ・ナウパカ レッドジンジャー 以下にリストした植物は、私が2018年から観察しているかぎり、時期による大きな変化なく一年を通して花をつけるようなので、表には入れていない。どの時期にハワイを訪れてもこれらの花は見ることができるだろう。 アサヒカズラ(メキシカン・クリーパー)アンスリウムイリマオオゴチョウカエンボク(アフリカン・チューリップツリー)キアヴェククイクラウンフラワーコア・ハオレゴクラクチョウカタビビトノキティアレハイビスカスハウ(オオハマボウ)ビーチ・ナウパカプア・ケニケニブーゲンビリアミロ(サキシマハマボウ)レッドジンジャー

ハワイの風を感じるスマホケース(花、野鳥、フラガール、サーフィン、その他)

イイヴィの手帳型ケースとダイヤモンドヘッド三十六景のiPhoneケース
オリジナルスマホケースが日本で発売 ハワイの花、野鳥の写真や絵、フラガールやサーファーガールのイラストなどの私の作品が印刷されたオリジナルスマホケースが、2019年11月より日本向けにオンライン販売されています。SIMMA Hawaiiさん(https://tokimeki-d.com)とのコラボレーション商品です。 ガラス製iPhoneケース ガラス製iPhoneケース ガラス製iPhoneケースの背面には、傷がつきにくい強化ガラスが使用されていてアート作品の劣化を防ぎます。側面はTPU樹脂で保護されています。柔らかい素材なので持ちやすく、ケースの付け外しも簡単です。側面は黒色と白色から選べます。2020年9月現在、iPhone7〜11までの各機種に対応しています。¥3,630(税込)。 写真の野鳥は、中央がマヌオクー(シロアジサシ)、右がネーネー(ハワイガン)です。 手帳型スマホケース 手帳型スマホケース PU(ポリウレタン樹脂性)レザーの手帳型スマホケースです。内側の粘着パッドにスマホ本体を貼り付けるタイプです。MサイズとLサイズの2種類があり、MサイズはiPhone6、6s、7、8、X、Xs等に、LサイズはiPhone6plus、7plus、8plus、XsMax、XR等を対象にしています。¥3,960(税込) 写真の野鳥は左からアパパネ(アカハワイミツスイ)、ハワイ・アマキヒ、イイヴィ(ベニハワイミツスイ)です。鳥たちがとまっている木は、すべてオーヒア・レフアです。 ウッド製iPhoneケース 『虹のイルカ』iPhoneケース(左:ウッド製、右:ガラス製) 天然木を使用した高級感のあるiPhoneケースです(写真左)。天然木に直接UV印刷します。私のイラスト作品とは特に相性がよさそうなので、これから積極的にこのウッド製ケース用にハワイの花や鳥の写真や絵、フラガールやサーファーガールなどの絵を用いて商品化を進めていく予定です。¥3,960(税込) 上の写真は、『Nai‘a o ke Ānuenue(虹のイルカ)』という作品です。10年以上前から温めていたイラストでしたが、この度ようやく世に出ることになりました。 『ダイヤモンドヘッド三十六景』シリーズ 『ダイヤモンドヘッド三十六景』シリーズのガラス製iPhoneケース 『ダイヤモンドヘッド三十六景』シリーズは、現在完成しているNo.4まですべて商品化されています。こちらはガラス製iPhoneケースのみとなります。 写真は、上から時計回りに『ダイヤモンドヘッド三十六景』No.3 デューク・カハナモク・ラグーン、No.4 マジックアイランド、No.1 ワイキキ・ベイ、No.2 カワイホアです。 リクエスト 商品は随時追加していく予定ですが、例えば「赤いハイビスカスの写真がプリントされたスマホケースが欲しい」みたいなリクエストにお答えすることが可能な場合もございます。リクエストにお応えできそうな写真や絵がすでにある場合で、写真や絵をお気に召していただければすぐに商品化するよう対処いたします。リクエストがございましたら、コンタクトフォームよりお気軽にご連絡ください。当ウェブサイトの運営会社であるStudio Elepaioの担当者よりお返事いたします。 多くのアーティストが参加 私の他にも、ヒロ クメさん、ヒロックショウさん、プカラニさん、マエダ メグさん、宮園苺さん、MĀLAMA Art&Designさん、小野澤篤人(AMAZONICA)さん、タツ ロドリゲスさん、Ryujinさん、谷口周郎さん、YUKI Komatsuさんといった個性豊かな多くのアーティストの皆さんの素敵な作品が販売されています。いろいろな作品を見ているだけでも楽しいので、特にハワイアンなアートや写真が好きな方はぜひ Simma Hawaii のオンラインストア(https://tokimeki-d.com)をご覧ください。 ※このページに掲載している商品情報やスペックは2020年9月時点のものです。ご購入の際は Simma Hawaii のオンラインストアにて最新情報をご確認ください。

ビルボード(屋外大型看板広告)がないハワイ

マルヒア・ロード(カウアイ島)
ハワイの美しい景観を守るため 車でホノルル空港から高速道路をワイキキ方面に向かうとき、ハワイで最も賑やかなカラカーウア大通りを歩くとき、アラモアナセンターでショッピングするとき、あるいは、ドールプランテーションを過ぎてパイナップル畑を脇に見ながらノースショアへ向かうとき——いかなる場面でも、景観の面でハワイが日本やアメリカの他の州と際立って違うのは、どの道路沿いにもビルの屋上や壁にも、企業などの大きな看板広告、いわゆるビルボードがないということである。ひとつもない。 それもそのはず、ハワイ州では、1927年という昔から、屋外におけるビルボードの設置が法律で禁止されているのである。理由は単純明快、ハワイの美しい景観を守るため。 海と山に囲まれたハワイでは、街中の道路からでも美しい自然を眺めることができる。その景色が、人工的なビルボードによって邪魔をされないのは、よいことだと思う。ハワイでも、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット、交通機関など、あらゆる媒体に広告は存在するし、資本主義社会で広告は必要不可欠なものでもある。だがせめて、自然の景観くらいは広告なしでいいではないかという考えなのだろう。 ハワイ州がパイオニア ワイキキの目抜き通りカラーカウア通りでさえもビルボードはない ハワイ州以外にも、ビルボードを設置することを禁止している州はある。ヴァーモント州、メイン州、アラスカ州がの3州がそうだ。 ヴァーモント州では、やはり景観を守るために、1968年にビルボードの設置が禁止された。続いてメイン州で1977年に、アラスカ州で1998年に禁止された。 ハワイ州も含めて、どの州も自然が豊かで、観光が主要産業もしくは成長産業であることが共通点だ。ビルボード禁止の法律ができたのは、ハワイ州が最も早い。ハワイ州の次に早いヴァーモント州より41年も前の1927年にすでに施行されている。 ハワイで長く暮らしていると、無意識のうちに、ビルボードがない景色が当たり前になってくる。そんなハワイに慣れてしまった私が日本に帰省したとき、街中の看板やのぼり旗の多さに、むしろ驚いてしまう。 渋谷(東京)| 写真:Jezael Melgoza だが、看板やのぼり旗が街に活気と賑やかさを与えてくれるのは確かな事実であるので、その存在を否定はできない。ニューヨークのタイムズスクエアの華やぎは、巨大看板やディスプレイがあってこそのものだし、日本の繁華街でも同じことが言えると思う。 タイムズスクエア(ニューヨーク)| 写真:Luca Bravo ハワイ以外の場所の都市景観論はさておき、景観を守るために、ビルボード禁止という思いきったことをアメリカの中でも最初に行なったハワイ州。ハワイを訪れた観光客は、普段から自分の町で目にするビルボードがまったくないという、ある意味不思議な景色をみて、まさに別天地にやって来たような、うきうきとした気分になれるのにちがいない。

ハワイの柿

ホノルル市内のスーパーに並ぶ富有柿
冬の楽しみ 南国ハワイの果物といえば、マンゴー、パパイヤ、パイナップルなどを普通は思い浮かべるだろう。バナナ、アボカド、最近はドラゴンフルーツ(ピタヤ)も人気だ。そんなフルーツ天国ハワイの人々が——私も含めて——毎年10月~12月の短い季節限定で楽しみにしている意外な果物が柿である。 ハワイで出会った日本の柿 日本の秋冬を代表する果物のひとつだが、アメリカ人が柿を好んで食べるというイメージはまったくなかった。実際、1990年以前のハワイでは、柿は今ほどポピュラーな果物ではなかったらしい。だから私は、ハワイのスーパーマーケットで普通に柿が並んでいるのを初めて見たとき、その意外な出会いに驚いて思わず買ったことを覚えている。 ハワイの柿は、富有柿(ふゆうがき)や蜂屋柿(はちやがき)などの日本の品種で、スーパーや青果店では、それぞれローマ字で「Fuyu」、「Hachiya」と表記される。シーズン前半には「Maru」という黄色い品種もある。 Fuyu(富有) シャクシャクとした食感のFuyu(富有) 鮮やかなオレンジ色の甘柿。ハワイで流通している柿のほとんどはこの品種。シャクシャクとした食感。 Hachiya(蜂屋) クリーミーなHachiya(蜂屋) やや細長く、先が尖っている渋柿。収穫してすぐは渋くて食べられないが、追熟させて柔らかくなると、強い甘味を持つようになる。とろりとしたクリーミーな舌触り。スプーンですくって食べるほか、凍らせて食べる人も多い。 Maru 黄色っぽい渋柿。渋抜き処理を施してから出荷される。渋抜き後は、前の2品種よりも甘くなり、味も良いという。残念ながら私はまだ見たことも食べたこともない。 値段 2016年10~11月にホノルル市内で調べてみたところ、町の小さなポップアップ・ストアの青果店では、1ポンド(約450グラム)あたり1.99~2.99ドル(表記はなかったがおそらくFuyu)、スーパーマーケットでは2.99ドル(Fuyu)、日系のスーパーでは3.59ドル(Fuyu)、グルメスーパーとよばれる比較的高級な店(ホールフーズなど)ではFuyuが5.99ドル、Hachiyaが6.99ドルだった。 1個の重さはだいたい0.40ポンドくらいだから、1.99ドル/ポンドの場合は1個0.80セント、6.99ドル/ポンドの場合は1個2ドル80セントということになる。このように店によって値段は3倍以上も変わるが、グルメスーパーをのぞけば普通の相場はだいたい1個1ドル前後というところだろうか。 マウイ島クラの柿農園 マウイ島にそびえる巨峰ハレアカラー山(3,055m)。その西側の裾野にクラ地区がある。真夏の日中でも気温が25度を超えることはなく、冬の朝方は10度以下まで下がる。ハワイのなかでは冷涼な地域である。降水量も少ない。この気候が、柿の木を育てるのに適しているという。 そんなクラの地に、ハシモト・パーシモン・ファーム(Hashimoto Persimmon Farm)という100年以上の歴史を持つ柿の果樹園がある。Shinichi Hashimotoさんという日系1世の人が開いた農園だ。現在もかれの子孫のハシモト一家によって経営されていて、ハワイ産の柿のほとんどがこの果樹園と近所にあるもうひとつの果樹園で収穫されたものである。全収穫の半分は、農園で直売されるという。 ハワイで流通している柿のほとんどはカリフォルニアなどのアメリカ本土産であるが、たまにハワイ産のものもある。店頭で「Local」や「Locally Grown」、あるいは「Grown in Hawaii」などと記されていたら、それがマウイ島クラ産の柿である。せっかくハワイにいるなら、クラの柿を味わいたい。 写真はすべて筆者による撮影

ハワイの蝶:カメハメハ・バタフライとコア・バタフライ

コア・バタフライ
2種の固有種 色とりどりの花が一年中咲いているハワイの公園や庭では、たくさんの蝶をみることができる。これらの蝶のほとんどは、他の地域から人間によってハワイに持ち込まれた外来種で、もとからハワイにすんでいる蝶は、実はわずか2種類しかいない。 ひとつは、タテハチョウ科のカメハメハ・バタフライ(Kamehameha butterfly、学名:Vanessa tameamea)、もうひとつはシジミチョウ科のコア・バタフライ(koa butterfly、学名:Udara blackburnii)である。2種とも、ハワイ諸島のみに生息する固有種だ。 世界に20,000種近い蝶がいるといわれるなかで、ハワイ原産の蝶がたった2種類というのは、少ないように思える。これはまず、地球上のあらゆる大陸から遠く離れているハワイ諸島は、蝶にとってたどり着くにはあまりにも遠すぎるということだろう。また蝶は、幼虫が食べるための草(食草)や木(食樹)が種によって限定されている場合が多い。つまり、運良くハワイまでたどり着いた蝶がいたとしても、その蝶に適した食草や食樹がハワイに存在しなければ、定着できないことになる。 カメハメハ・バタフライ カメハメハ・バタフライ | 写真:Forest & Kim Starr ハワイ諸島を統一したカメハメハ1世に敬意を表して名付けられた蝶。羽を広げた時の長さは5.5~7.5センチ。羽は濃いオレンジ色、羽の縁は黒色で、いくつかの斑紋がある。カホオラヴェ島以外のハワイの主要8島で生息が確認されている。山地のハイキングトレイルや森の開けた場所などでみることができる。主にマーマキ(māmaki、学名:Pipturus albidus)というイラクサ科の低木または小高木に産卵し、幼虫はマーマキの葉を食べて育つ。ハワイ語で蝶や蛾のことをpulelehuaというが、これは特にカメハメハ・バタフライのことを指しているようだ。 コア・バタフライ 緑色の小さな蝶。羽を広げた時の長さは2.2~2.9センチ。オスの前羽の根元付近は青みがかっている。後羽はやや青みが少ない。メスの羽の表側は灰色がかった茶色。羽の表側はオスもメスも玉虫のような緑色で、メスの方が明るい。ハワイの蝶で羽の表側が緑色なのはコア・バタフライだけである。その名の通り、主にコア(koa、学名:Acacia koa)の木に産卵し、幼虫は花を食べて育つ。他にアアリイ(ʻaʻaliʻi、学名:Dodonaea viscosa)などにも産卵することがわかっている。カメハメハ・バタフライ同様、カホオラヴェ島以外のハワイの主要8島で生息が確認されている。コアの木が生えている山地で見られるが、昔よりは数が減っているらしい。 以上の2種は、それぞれの祖先がいつの時代か偶然ハワイにたどり着き、運良く適切な食樹があったため定着に成功し、ハワイの環境に合わせて独自な進化を遂げた蝶たちだ。町中や海辺で見られることはほぼないので、ハワイで山にハイキングに出かけるチャンスがあれば、ぜひこれらの美しい蝶たちを探してみてほしい。 参考文献 Dean Jamieson, Jim Denny『Hawaiʻi’s Butterflies & Moths』Mutual Publishing(2001年)