ハワイの暮らし

ハワイの地名:manu(鳥)がつく地名

ネーネー(ハワイガン)
ハワイの古い地名 鳥たちが古くより人との関わりが深いのは、日本もハワイも同じである。 日本には「鳥」がつく地名や、ツル、タカ、カモ、ウ、ハト、スズメなどの鳥に関連すると考えられる地名が数えきれないほどある。同じようにハワイの地名にも——山、谷、川、湾、滝などの名称も含めて——やはり鳥の名前がたくさん出てくる。 日本の場合、漢字が当て字であったり、縁起のよい字や雅びた字に変えられていたりして、たとえ地名に鳥の名前が入っていても、それが必ずしも鳥に由来するわけではない。鳥にちなんだものに限らず、日本の古い地名の由来の多くは、すでに歴史の彼方に消えてしまったといえるだろう。 一方、太平洋の真ん中に浮かぶハワイ諸島の古い地名は、他言語の影響を受けていないうえ、ハワイ語が音声学的に単純な言語であることもあり、ある程度は由来がわかっている。ハワイで暮らす人々の間では、地名の意味や由来が比較的よく認知されている。 そんなハワイで、鳥に関連する地名にはどういうものがあるだろうか。まずは、ずばり「鳥」がつく地名を探してみる。鳥はハワイ語で「manu」という。 アーフイマヌ ʻĀhuimanu オアフ島カーネオヘ(Kāneʻohe)にある住宅地の名前。近くには平等院がある。直訳すると「鳥群」。近くにその名も「鳥島」のモクマヌ(Mokumanu)という小島があることからもわかるように、今日でもカツオドリなどの海鳥が多く生息する地域である。ちなみに、この町の通りの多くは、フイ・イオ(Hui ʻIo)、フイ・イヴァ(Hui ʻIwa)、フイ・ウーリリ(Hui ʻŪlili)、フイ・アキキキ(Hui ʻAkikiki)、フイ・アーケパ(Hui ʻĀkepa)のように、Hui(群れ)+鳥の名前が付けられている。 アーリアマヌ Āliamanu ホノルル市の西側にあるソルトレイク界隈の別名で、もともとは近くにあるクレーター(Āliamanu Crater)の名前。アーリア(ālia)には「塩で覆われた場所」や「塩辛い」などの意味がある。火山の女神ペレ(Pele)が、家族とともにこの地で暮らしていたことがあると伝えられている。伝承では、彼女らがこの地を離れるときに、ペレの妹のヒイアカ(Hiʻiaka)が飼っていた鳥が逃げ出し、他の鳥たちが集まってきたという。 カホールアマヌ Kahōluamanu カウアイ島ワイメア・バレーの最も高い崖の名前。「カ(ka)」は冠詞で、英語では通常「the」と訳される。「ホールア(hōlua)」とは、ハワイの伝統的なソリを使ったソリ遊びのこと。名前の由来が気になる。 ハレマヌ Halemanu カウアイ島のハレマヌ・ストリーム(Halemanu Stream)という川の名前。「ハレ(hale)」は家という意味。日本風の名前にするなら「鳥ノ巣川」といったところか。いかにも鳥たちが元気にさえずる川辺の風景を彷彿する。しかし、私は実際にこの川を何度かトレッキングで渡ったことがあるが、鳥の気配すら感じたことがない。カウアイ島の森の野鳥は、特に2010年頃から急速に減少しているように思うが、昔はこの渓流一帯にもエレパイオやハワイミツスイたちがたくさんすんでいたのだろう。カウアイ島の森に再び鳥たちが戻ってくる日は来るのだろうか。 マヌアヒ Manuahi ハワイ島コナのカウープーレフ(Kaʻūpūlehu)の古い地名や、カウアイ島の谷と川の名前、さらにモロカイ島北部の尾根の名前にもある。「アヒ(ahi)」は火という意味。ハワイの火の鳥伝説といえば、人間に火をもたらしたといわれるアラエ・ウラ(バン)があるが、なにか関係あるのだろうか。いつかそれぞれの場所に行って地勢や鳥相を見てみたいものである。 その他の「鳥」がつく地名 カフルオマヌ(Kahuluomanu、直訳「鳥の羽根」)、オアフ島。 カライアカマヌ(Kalaʻiakamanu、直訳「鳥がもたらした平和」)、モロカイ島。 ハアクラマヌ(Haʻakulamanu、直訳「鳥が集まる場所のような」)、ハワイ島。 カマヌ(Kamanu、山の名前。直訳「鳥」)、カウアイ島。 カマヌワイ(Kamanuwai、直訳「水鳥」)、オアフ島。 カヌクオカマヌ(Kanukuokamanu、直訳「鳥のくちばし」)、ハワイ島。 ケアーカマヌ(Keākamanu、丘の名前。直訳「鳥の雑音」)、マウイ島。 ルアマヌ(Luamanu、クレーターの名前。直訳「鳥穴」)、ハワイ島。 マヌホノホノ(Manuhonohono、丘の名前。直訳「臭い鳥」)、カウアイ島。 プウカマヌ(Puʻukamanu、丘の名前。直訳「鳥丘」)、カウアイ島。 プウマヌ(Puʻumanu、丘の名前。直訳「鳥丘」)、カウアイ島、ラーナイ島、ハワイ島。 ワイマヌ(Waimanu、直訳「鳥水」)、ハワイ島、カウアイ島、モロカイ島(滝の名前)。 以上、「鳥」がつく地名を探してみた。 カウアイ島、ラーナイ島、ハワイ島にそれぞれあるプウマヌ(鳥丘)には現在どんな鳥がすんでいるのか、いつの日かそれぞれ訪ねてみたいものだ。カライアカマヌ(鳥がもたらした平和)や、ケアーカマヌ(鳥の雑音)などは、なにかの伝承にもとづいた名前なのだろうか。由来が気になる。 ネーネー、アラエ、イヴァなどの鳥名がつく地名は、次の記事で紹介したい。 写真は筆者による撮影 参考文献 Mary Kawena Pukui, Samuel H. Elbert『Hawaiian Dictionary (Revised and enlarged edition)』University of Hawaiʻi Press(1986年)Mary Kawena Pukui, Samuel H. Elbert, Esther T. Mookini『Place Names of Hawaii (Revised and expanded edition)』University of Hawaiʻi Press(1974年)

ラハイナヌーン:太陽が真上にくる日(2024年日程あり)

北回帰線よりも南に位置するハワイ 地球上で南北の回帰線の間にある熱帯地域のみ、太陽が天頂を通過する。冬至のときに太陽が真上にくる地点をつなげたのが南回帰線、夏至のときに太陽が真上にくる地点をつなげたのが北回帰線だ。 ハワイの主要8島は北回帰線よりも南に位置するので、太陽が真上にくる日が年に2回ある。日本やアメリカ合衆国本土では見られないない現象だ。この現象は、ハワイではラハイナ・ヌーン(Lahaina Noon)と呼ばれている。 春と夏のラハイナヌーン 太陽が真上にくる地点は、冬至を境に南回帰線から徐々に北上するわけだが、ハワイでは5月後半にその年最初のラハイナヌーンがくる。太陽が真上にくる地点はハワイを過ぎてさらに北上し、夏至の日(6月22日ごろ)にハワイよりやや北にある北回帰線に到達すると、今度は南下を始め、ハワイでは7月半ば頃に2度目のラハイナヌーンを迎えることになる。 5月の1回目のラハイナヌーンは「Spring Lahaina Noon(春のラハイナヌーン)」と呼ばれ、7月の2回目のラハイナヌーンは「Summer Lahaina Noon(夏のラハイナヌーン)」と呼ばれる。 ラハイナヌーンの日は、ハワイ州内でも緯度によって異なる。太陽が真上にくる地点が北上していく春のラハイナヌーンは、2024年のホノルルでは5月27日だが、例えばホノルルより南にあるヒロ(ハワイ島)ではそれより9日早い5月18日であり、ホノルルより北にあるリーフエ(カウアイ島)では、5月30日にラハイナヌーンを迎える。逆に太陽が真上にくる地点が南下していく夏のラハイナヌーンは、この3都市でいうとリーフエ(7月10日)、ホノルル(7月15日)、ヒロ(7月23日)の順でやってくることになる。 2024年春のラハイナヌーン ヒロ(ハワイ島):5月18日(土)午後12時16分 カフルイ(マウイ島):5月25日(土)午後12時22分 ホノルル(オアフ島):5月27日(月)午後12時28分 リーフエ(カウアイ島):5月30日(木)午後12時35分 2024年夏のラハイナヌーン リーフエ(カウアイ島):7月10日(水)午後12時43分 ホノルル(オアフ島):7月15日(月)午後12時37分 カフルイ(マウイ島):7月17日(水)午後12時32分 ヒロ(ハワイ島):7月23日(火)午後12時26分 参照:https://www.bishopmuseum.org/lahaina-noon/ 灼熱の太陽が最高点に達する昼 ラハイナヌーンという名前は、1990年にホノルルのビショップ博物館によって行われたコンテストで選ばれた名前である。ハワイ語で「la」(正確には「lā」)は太陽のことで、「haina」(正確には「hainā」)には「過酷な」や「残酷な」という意味がある。「noon」は正午や最高点という意味の英語で、つまりラハイナヌーンとは「灼熱の太陽が最高点に達する昼」という意味である。 影が体の中に宿る時間 自然の観察に長けていたことで知られる古代ハワイ人が、年に二度起こるこの現象を知っていたのかどうか調べてみたが、わからなかった。1990年にわざわざラハイナヌーンを新語として造ったということは、この現象をさすハワイ語はなかったかと思われる。 ただし、毎日の正午のことを表すフレーズとして「カウカラーイカロロ、アホイケアカイケキノ(kau ka lā i ka lolo, a hoʻi ke aka i ke kino)」というのがある。まるでなにかの呪文のようにも聞こえるが、「太陽が頭の上にあり、影が体の中に宿る時間」という意味になる。ハワイ人は、太陽が最も高い位置に来る正午を、マナが宿るスピリチュアルな時間だと考えていたようである。 マウイ島のラハイナ 現在は観光地として人気があるラハイナ ラハイナといえば、1820年から1845年までハワイの首都だった、マウイ島のラハイナ(Lahaina)という町を思い浮かべる人も多いだろう。この地名は古くは「Lāhainā(ラーハイナー)」と発音されていたそうで、直訳すると「残酷な太陽」となる。干ばつが地名の由来であると考えられている。 ラハイナヌーンの時間に、平らな地面で例えばペットボトルを立ててみると、太陽が真上にあるので当然影がない。5月末や7月半ばにハワイにいる方は、この年に2度の珍しい現象を体験できる。 2016年5月26日のラハイナヌーン時に撮影。太陽が真上にあるため、コーンの影がない 写真はすべて筆者による撮影

マヌオクー・フェスティバル

紙で作られたマヌオクー(シロアジサシ)
天空の妖精を愛でるお祭り 今年で2回目となる『マヌオクー・フェスティバル(Manu-o-Kū Festival)』が、2017年5月20日土曜日の午前11時から午後3時まで、イオラニ宮殿の敷地内で開催された。去年の第1回イベントには予定が合わず行けなかったが、今年は行くことができた。 このイベントの主役であるマヌオクーとは、ホノルル市内に生息するシロアジサシのハワイ語名で、私が特に好きな鳥のひとつである。真っ白な海鳥で、2007年より『ホノルル市の鳥』に指定されている。 英語ではWhite Tern(白いアジサシ)と呼ばれるほか、「妖精のようなアジサシ」という意味のFairy Ternという名前もある。顔や仕草がとても愛らしく、飛翔する姿は軽やかかつ優雅で、まさに妖精の名にふさわしい。 マヌオクーのペア 不思議なことに、マヌオクーは、ハワイの主要な島々ではオアフ島の都市部にのみ生息する。繁殖地は、わずかな例外を除いては、西はアロハ・タワーから東はニウ・バレーあたりまでの狭い地域に限られている。しかもどういうわけか、ダウンタウン、ワイキキ、アラモアナなどの、人の活動で特に賑やかな街に集中している。 関連記事 マヌオクー(シロアジサシ) アヌヘア:ハワイの花・植物・野鳥図鑑 マヌオクー・フェスティバル そんな愛すべきマヌオクーについてより多くの人々、特に子供たちに知ってもらうために、2016年5月14日に第1回『マヌオクー・フェスティバル』が開かれ、今年は2回目の開催となった。開催しているのはConservation Council for Hawaiʻiという非営利団体で、他に多くの団体、機関、企業がパートナーやスポンサーとして参加している。入場は無料。 会場であるイオラニ宮殿の敷地内には、大きなテントがたてられ、その中で子供向けのゲームや工作、デジタル写真展、マヌオクーをはじめとしたハワイの野鳥について学べるブースなどが、所狭しと並んでいた。会場は家族連れで賑わっていて、子供たちが熱心に紙工作でマヌオクーを作ったり、ゲームを楽しんだりしていた。 マヌオクーのお面 海鳥について学習できるブース デジタル写真展では、複数の写真家たちによるマヌオクーの写真のスライドショーが、モニターで展示されていた。私も、この写真展の担当のかたとご縁があり、僭越ながら10枚ほどの写真を提出させていただいた。 私も参加させていただいたデジタル写真展 望遠鏡でマヌオクーを実際に観察 テントの真横に立っている大きなククイの木では、奇しくもマヌオクーが子育てをしている最中であった。木の下には、そのヒナにスポットをあてた望遠鏡が2台設置されていて、皆とても興味深そうに望遠鏡を覗いていた。また空を見上げると、数羽のマヌオクーが飛び回っていた。 イオラニ宮殿とその周辺のダウンタウンには、マヌオクーの繁殖地がたくさんある。当フェスティバルのイベントの一つとして、これらの繁殖地を歩いて回るツアーも行われたようである。 営巣中のマヌオクーを観察できる望遠鏡 マヌオクーが800万ドルの工事を延期に ダウンタウンのマヌオクーといえば、今年3月、ハワイ州立美術館のバルコニーでマヌオクーが抱卵していることがニュースになった。なぜなら、美術館がある建物では予算800万ドルをかけた大規模なメンテナンス工事が予定されていたが、このマヌオクーのヒナが巣立つまで、工事が延期になったからである。 マヌオクーの親子 マヌオクーに危害を加えたり、卵やヒナを動かしたりして子育ての邪魔をすることは、州と国の法律で禁止されている。 メンテナンス業者にとってはせっかくの仕事が延期になってしまって歯がゆいことかもしれないが、私は、このように自然や野生動物を守ることに重きをおくハワイが、あらためて好きになった。 マヌオクーの家族 写真はすべて筆者による撮影

第39回プリンスロット・フラフェスティバル

モアナルアガーデンのモンキーポッド
王子を讃えるフラの祭典 夏真っ盛りの7月、私がハワイで毎年楽しみにしているイベントがある。ホノルル市内のモアナルアガーデンで開催される、プリンスロット・フラフェスティバル(Prince Lot Hula Festival)というフラの祭典だ。 まず、フラについて。いわゆるフラダンスのことだが、「フラ(hula)」がそもそも「踊り」という意味のハワイ語なので、フラダンスは「踊り踊り」という重言になる。このブログでは、日本でも「フラ」で一般に定着することを期待して、ハワイでの正しい言い方である「フラ」で統一する。 プリンスロットは、「ロット王子」という意味。ハワイの王朝時代に実在したロット・カプアーイヴァ(Lot Kapuāiwa、1830–1872)のことで、1862年より国王カメハメハ5世になる人物である。一時は禁止されていたフラの復活に尽力した人として知られる。モアナルアは、プリンスロットが気に入っていた場所だったそうで、かの地で夏に過ごすためのコテージも建てた。プリンスロットは、モアナルアでよくパーイナ(pāʻina、夕食会)を開き、客人をフラとメレ(音楽)でもてなしたという。コテージは、その後何度か移築され、現在はモアナルアガーデン内にある。 そんなプリンスロットの功績を讃え、彼にゆかりのあるモアナルアの地で、彼の名を冠したフラの祭典『プリンスロット・フラフェスティバル』が、1978年に始まった。以来、非営利団体モアナルアガーデン財団(Moanalua Gardens Foundation)によって毎年開かれている。 2014年までは、7月の第3土曜日に開催されていたが、2015年から土曜と日曜の2日間行われるようになった。私は、2006年に友人が出場したのを観に行って以来、予定が合うかぎり毎年観に行っている。今年は7月16日と17日に開催され、2日間で20のハーラウ(hālau。フラの一座、学校)が出演した。また今年は、2日目の最初にライアテア・ヘルム(Raiatea Helm)のコンサートもあったが、私は残念ながら今年は2日目には行くことができなかった。 競技会ではない ハワイにはたくさんフラの祭典や大会がある。毎年4月にハワイ島のヒロで開催される『メリーモナーク・フラフェスティバル』は、中でも最大のものだ。それら大きなイベントの多くは、踊りの美しさなどを競う、いわゆる競技会である。 プリンスロット・フラフェスティバルの特徴のひとつは、競技会ではないということ。つまり、踊りを競うのではなくて、ハワイの文化と伝統を披露して、みんなでシェアするという大会なのである。プリンスロット・フラフェスティバルは、競技会の形式をとらないフラの大会としては、ハワイ最大のものである。 そういうこともあってか、出演者も観客も、比較的リラックスした和やかな雰囲気のなかでフラが披露される。観客の前で踊るのは今大会が初めてというダンサーも少なくない。 「彼女たちは、今日がデビューなんです!」 などとクム(先生)が紹介すると、観客からは大きな拍手が起きる。そんな温かい雰囲気のフラフェスティバルだ。 だからといって、内容が生ぬるいわけではない。厳かなカヒコ(kahiko、古典フラ)も優雅なアウアナ(ʻauana、現代フラ)も、みんな真剣そのもの。メレ(音楽)だってほとんどが生バンドによるクオリティの高いライブ演奏だ。衣装もレイも、ため息が出るほど美しい。1日中観ていても飽きない。 『フラガールとイリマ』| イラスト:崎津 鮠太郎 マリア・カウ賞 1日目、ハーラウによるフラが始まる前に、モアナルアガーデン財団によるマリア・カウ賞(Malia Kau Award)の授賞式がある。2014年に始まった賞で、今年が3回目。長年にわたるハワイの伝統文化の保存とフラへの貢献が讃えられ、毎年2人のクム・フラ(kumu hula、フラの先生)が受賞する。グラミー賞でいう特別功労賞生涯業績賞のようなもの。今年は、コリン・アイウ氏(Coline Aiu)とキモ・ケアウラナ氏(Kimo Keaulana)が受賞した。 「この木なんの木」がある場所 会場のモアナルアガーデンは、テレビCMでおなじみの「この木なんの木気になる木」があることでも知られる公園である。日本人には有名なあの巨木は、モンキーポッドという。熱帯アメリカ原産のマメ科の高木で、ハワイには1847年に移入された。CMの映像でもわかるように、モンキーポッドは、大きな傘を広げたように枝が伸びて広い木陰を作る。 巨大なモンキーポッドの木陰で行われるプリンスロット・フラフェスティバル モアナルアガーデンには、「この木なんの木」の他にもモンキーポッドの大樹が何本もあり、プリンスロット・フラフェスティバルは、そのモンキーポッドの木々の木陰で行われる。フラを鑑賞するには絶好のロケーションだ。観客はそれぞれ椅子や敷物を持ってきて、ゆったりとピクニック気分で木陰の涼しい風に吹かれながらフラを楽しむことができる。 パー・フラ(フラのマウンド) 会場の前方中央に、パー・フラ(pā hula)と呼ばれる、フラを踊るための広いマウンドがある。パー・フラは、古代ハワイのモアナルアにたくさんあったという。プリンスロット・フラフェスティバルのパー・フラは、1980年に作られたもので、カマイプウパア(Kama‘ipu‘upa‘a)と名付けれてている。 パー・フラはきれいに芝で覆われていて、その背後は、キー(ティ)の葉が生い茂っている。頭上は天を覆い尽くすモンキーポッドの枝々と葉っぱ。そんな緑一色の景色のなか、色とりどりのダンサーがマウンドにあがり、フラを披露する。まことに絵になる。 最後は会場全員で『ハワイ・アロハ』を合唱 2日目、すべてのハーラウの演技が終わると、最後に観客全員が立ち上がり、みんなで『ハワイ・アロハ』を歌う。隣の人と手をつないで歌う。親子も、恋人たちも、老夫婦も、手をつないでみんな歌う。会場が大きなアロハで包み込まれる。このときはいつも、ハワイで暮らしていてよかったと心から思う。 ——フラを観るのはもちろん楽しみなのだが、私がプリンスロット・フラフェスティバルに毎年足を運ぶ理由は、もしかしたら、モアナルアガーデンという素敵な場所で『ハワイ・アロハ』をみんなで歌うときの、あのなんともいえないピースフルな雰囲気を味わいたいからなのかもしれない。 【追記】2017年以降、プリンスロット・フラフェスティバルはモアナルアガーデンではなくホノルルのイオラニ宮殿で開催されるようになりました。 写真はすべて筆者による撮影

ホノルル海さくら:ハワイでビーチクリーン

ホノルル海さくら
海さくらとは 友人に誘われて、ビーチクリーンと呼ばれる、海沿いのゴミ拾いボランティアに参加した。開催者は、ハワイ在住の日本人を中心に活動している「ホノルル海さくら」というボランティア団体だ。 海さくらは、神奈川県の江ノ島を拠点にゴミ拾いを中心とした多方面な活動をしている団体で、日本には他に大阪海さくら、石巻海さくらなど、5箇所に拠点が置かれている。 私が参加したホノルル海さくらは、海さくら初の海外拠点として、2012年に設立された。以来、毎月末の日曜日にビーチクリーンを続けている。4月の熊本地震の際には募金活動を行ったり、チャリティイベントを開催したりもした。 ビーチクリーン当日 ホノルル海さくらがビーチクリーンを行うマジックアイランド 午前9時半、集合場所であるアラモアナセンターの道路を挟んで向かい側にあるビーチパークの入り口に行ってみると、すでに40名ほど集まっている。 参加者が揃ったところで海辺に移動した。代表者の挨拶があり、3回目の参加者に景品としてホノルル海さくらオリジナルのタオルが贈呈された。6回目の参加者には「ブラックタオル」と呼ばれる特別な黒色のタオルがもらえるという。実はこの「ブラックタオル」は、私がデザインさせていただいた。私にできることで少しでもグループの力になれて嬉しく思う。今後オリジナルTシャツの制作も検討中とのことで、また私がデザインを手伝わせていただく予定だ。 また、地元ホノルルの多くの商店や飲食店などが、ホノルル海さくらの活動趣旨に賛同し活動を支援するために、割引券やグッズなどを進呈してくれるという。それらはビーチクリーン後にゲームやコンテストを企画して、参加者に景品として配っているそうだ。 午前10時、各自にゴミ袋、手袋、トングが配られて、約1時間、海沿いを丹念に歩いてゴミを拾って歩いた。ビーチクリーンというからてっきり砂浜を掃除するのかと思っていたが、マジックアイランドという人口の半島の岸辺のゴミ拾いだった。 一見きれいにみえるマジックアイランドだが、気をつけながらゆっくり歩くとたくさんのゴミが落ちたり流れ着いたりしていた。ゴミの内容は主に空き缶、空き瓶、食べ物のパッケージ、袋、衣類、釣り糸など。一時間で私の大きなゴミ袋はいっぱいになった。そのゴミ袋が40人分あるわけだから、相当な量である。それでもこの日は少ない方だったというから驚きだ。 午後はBBQで参加者と交流 ゴミ拾いが終わった後は、参加希望者にはマジックアイランドでBBQが用意されていた。ランチを食べながら参加者と交流を深めることができた。参加者はほとんどが日本人で、留学生やハワイ在住の社会人のほかに、短期で旅行に来ているという人もいた。 ハワイの環境について考えるいい機会になったし、新しい友人もできた。また機会があればぜひ参加したい。

ハワイでの英語学習体験記

熊本の大学時代、ボブ・ディランに熱中していた。このことは「エルヴィス、ビートルズ、そしてボブ・ディラン」で詳しく書いた。ボブがどういう意味の歌を歌っているのか知りたくて、歌詞をノートに書き写し、わからない単語はすべて調べて書き出したりしたが、なかなか理解できなかった。 ハワイへ語学留学 大学卒業後、英語を習得するためアメリカに留学する決心をした。ボブの歌を英語のままダイレクトに聴き取って理解できるようになりたいというのが一番の動機だった。留学先は、か細いながらもツテのあるハワイに決まった。23歳で新しい人生が始まった。 ハワイに来てすぐの私は、英語の会話は片言、読み書きは日本人の平均レベルよりはややできるくらいだった。英字新聞はほとんど読めなかったし、テレビや映画はさっぱり聞き取れなかった。まずは、ハワイ大学の英語プログラムに約1年通った。 会話(話すこと・聞くこと) 会話に関しては、ハワイに来て3ヶ月ほどたったころ突然、周りが驚くほど急激に伸びたあと、緩やかに伸びていった。現在は日常生活に不自由しない程度に話せるし聞きとれるが、23歳というのは第二言語を母国語レベルで習得するには遅すぎるらしく、残念ながら発音はマスターできなかった。日本語訛りのある英語しか話せない。10代でアメリカに来た日本人には、ネイティブに近い発音の英語を話すことができる人がたくさんいる。 英語は、言語としての構成や、話すときの舌の運動の具合が、日本語とはあまりにも異なる。すでに成熟した大人の脳にとって、英語をインプットしてくのは大変な作業だ。英語を第二言語として習得するには、子供のときに習得するのがもっとも近道だと思う。もし、大人になってから英会話を習得したくなった場合、練習や勉強よりも、とにかく常に英語を話す必要がある環境に身を置くことが大事だと思う。 私の妹は、アメリカ人と結婚してニューヨークで暮らしている。妹のアメリカ在住歴は私より数年長いが、アカデミックな英語の読み書きの力はむしろ私の方が勝っている。彼女が学生のときの課題のエッセイを私が添削してあげていたくらいだ。しかし、英会話となると、私は彼女の足元にも及ばない。妹は、夫やその両親と長い時間を過ごし、ときには喧嘩もし、将来の大事な話もたくさんしてきただろう。英語を話してきた経験値と会話の密度が、私とはまるで違う。妹は、彼女の人生と家庭のために英語を話す必要があったのだ。 書くこと 書くことは、語学学校時代の後半に通ったハワイ大学の「HELP」というプログラムの「アカデミックライティング」という授業がずいぶん役に立った。アメリカの大学入学を目指す留学生が、英語での学術論文の書き方や論理の構成方法を学ぶクラスだ。この頃は、ハワイでもう一度大学に入ってグラフィックデザインを勉強することを決めていたので、意欲的に学習した。 読むこと 最も苦労したのは、読むことだった。語学学校では、さまざまな記事や論文をたくさん読まされた。読むことの積み重ねによってボキャブラリーと表現パターンはゆるやかに習得はしていくのだが、いかんせんトピックに興味がないため、なかなか読む気にならないし、内容が頭に入ってこなかった。当時読まされたもので今でも覚えているものは、ほとんどない。 「HELP」に約一年を通ったあと、ハワイ大学附属のコミュニティカレッジに入学してグラフィックデザインを専攻した。教科書の内容も課題の読み物もすべてアートやデザインという、私が直接興味があることなので、これまでよりは意欲的に読むことができた。しかし、この頃はもう私にとって英語の習得が第一の目的ではない。もし、同じ情報が日本語でも書かれてあるならどうだろう。母国語で読む方が気が楽だし、効率的かつより深く理解できるに決まっている。デザインは、日本語で書かれた書籍やウェブサイトもずいぶん頼りにしながら勉強した。 そんな私が飛躍的に英語を読めるようになったのは、ハワイの野鳥について深い興味を抱くようになってからだった。 関連記事 ハワイの野鳥との出会い 崎津鮠太郎 ハワイの野鳥について詳しく書かれている本はすべて英語なので、野鳥のことをもっと知りたければ英語を読むしかない。そこには私が知りたい情報が詰まっている。語学学校の課題でさほど興味がない記事を読まされるのとは、内容が頭に入ってくる度合いがまったく違う。わからない単語が出てくると、その意味を「知りたい!」という思いがとても強いし、そうして知った単語は確実に自分のものになっていく。 英語を話す必要がある環境に身を置くことが英会話上達の肝だと書いたが、読むことについても同じことが言えると思う。私にとって、ハワイの野鳥について知りたいと思う欲求を満たすためには、英語の本を読む“必要”があったから、厭うことなくハワイの野鳥関連の本を読み漁った。結果として、ハワイの野鳥について調べれば調べるほど、英語の読解力が上がっていた。 以上、英語は結果的に私がもっとも勉強した学科のひとつになったので、体験記としてまとめてみた。今ではボブ・ディランの歌も聞き取れる。当初の目的はひとまず達成できたといえる。