日本酒

日本酒そのものをブランディング:世界への扉を開く鍵

若竹 鬼ころし 純米大吟醸
野鳥、ボブ・ディラン、天草、ハワイ、日本酒など、私が好きで好きでしかたがないものはいくつかあるが、不思議なことに日本酒関連のデザインの仕事だけはたくさん入ってくる。 アメリカとヨーロッパで日本酒の輸入販売をおこなうWorld Sake Imports、日本国外最大の日本酒イベントの一つThe Joy of Sake、アメリカの日本酒EコマースTippsyなどで、長年にわたってクリエイティブディレクションを担当させてもらっている。 私はこれらの会社のウェブサイトをすべてデザインしてきたが、制作の過程で、英語による日本酒のカテゴリ分類、名称の英訳、商品の魅せ方など、散々考え込み、試行錯誤してきた。 そんな私が、デザイナーの立場から思うのは、日本酒をさらに広く世界で飲まれるようにするためには、まず「日本酒」そのものにブランディングが必要なのではないかということである。 World Sake Imports ウェブサイト 個別銘柄のファンよりもまずは “日本酒のファン” を増やすべき 「黒龍や新政などのそれぞれの銘柄自体がしっかりブランディングされたブランドではないか」 と思われるかもしれない。それはそうなのだが、まだ日本酒の価値がしっかりと認知されていない海外では、まずは各銘柄より上の階層である「日本酒というカテゴリ」自体を、強力なプレーヤーが腰を据えてブランディングすべきだと思うのだ。 そして、“Spread the love of sake” を合言葉にたった5年でアメリカ最大の日本酒プラットフォームに成長したTippsyは、少なくとも日本酒の最大輸出先であるアメリカにおいては、そのプレーヤーになろうとしている。 関連ページ Tippsy Sake(アメリカの日本酒EC) 崎津鮠太郎 寿司やアニメとの違い 「寿司やアニメは、誰かがカテゴリ自体のブランディングをやったわけではないのに世界に広まったではないか」 とも思われるかもしれない。それも確かにその通りだが、食品である寿司と、娯楽コンテンツであるアニメは、より広い市場に向けて展開できるし、比較的容易に異文化に受け入れられる側面がある。 一方で日本酒は、アルコール飲料であり、嗜好品である。消費のシーンやターゲット市場は寿司やアニメと比べると限定されるし、価値の提案の仕方が飲み方、製造方法、産地の特性など多岐にわたり、これらを効果的に伝えるためには、専門的な知識と教育が求められる。深い背景を伝えるための異なるアプローチが必要だと思うのだ。 まずは日本酒を正しく知ってもらい、ファンになってもらう 八海山 純米大吟醸 雪室貯蔵三年 ここでいうブランディングとは、価値を一貫したイメージで形成し消費者に認知させることで顧客ロイヤリティを獲得するプロセスのこと。 要するに「できるだけ知ってもらい、ファンになってもらうこと」である。 知って驚き、飲んで感動し、世界観に共感し、ファンになり、他の人にも勧める。これがブランディングの強みだ。 「日本酒は世界に誇れる素晴らしい飲み物だから海外でも売れるだろう」 みたいな楽観的なマインドでは、おそらく大きな成功は望めない。日本のマーケットとは当然異なる消費者の価値観、ニーズ、習慣などをしっかりとマーケットリサーチしたうえでの効果的なブランディング戦略が必要なことは言うまでもない。 このブランディング戦略を、酒蔵や銘柄単位ではなく、日本酒というカテゴリそのものに対してやることができれば、日本酒は今よりもっとたくさんのファンと醸造所を世界中に持つ、ワインのようなカテゴリになれるのではないか。 価値を伝えることの難しさ 先日、Tippsyでとある生酒を買ったところ、瓶が透明の袋に入っていた。袋には「紫外線を通しにくいUVカットフィルムを使用しています」と日本語で書かれてあった。Tippsyが付けたものではないので、酒蔵が自主的に提供していると思われる。 長年アメリカで暮らしていると、日本の商品のこういう細やかな気配りにはほんとうに驚かされる。物作りのレベルが高い日本では当たり前のことなのかもしれないが、海外の私は “すごい” と思った。 ただ、日本語で書かれているため、海外ではUVカットフィルムであることは知られることなく捨てられるだけだろう。「UVカットフィルムを使って品質保持にこだわっている」という “価値” を、伝えそびれているわけだ。もったいない。英語でも書くべきだ。 こういう、一つ一つの小さな “価値” を、取りこぼさないように丁寧にすくい上げて世界に向けて伝えていくことが日本酒のブランディングには大切だと思う。 しかし、言葉の壁もあって、これがなかなか難しい。目先の売上には直接繋がりにくい、地味な作業がどうしても多くなるが、経営陣が長期目線を持ってブランディングの重要性を理解してさえいれば不可能ではないはず。実際、Tippsyでは厳密なエディトリアルガイドラインを設けることや、迅速かつ正確に魅力的なコンテンツをアクティブに発信し続けるチーム体制を整えるなどして、長期戦略として具体的に実践しようとしている。 日本酒が世界の “Sake” になる日 日本酒が持つ歴史、伝統、文化、技術、革新、ストーリー、味わい、バラエティ、ペアリングなどの諸価値は、ワインにも負けないポテンシャルがあるということは多くの人が賛成してくれるだろう。 これらの価値をいかに上手に世界に伝えるか——つまり日本酒自体の国際的なブランディングを上手にできるかどうか。日本酒が世界への扉を開く鍵はここにある気がしている。 いろんな縁があって、日本酒を世界に広げるという楽しい挑戦に、微力ながらデザイナーとして長年にわたって従事させてもらえることはとても光栄だ。この挑戦を続け、世界中に日本酒の素晴らしさを広めていきたい。日本酒が世界の “Sake” になる日を夢みて。 乾杯!

日本酒EコマースTippsyのオリジナルトートバッグ

Tippsyトートバッグ『Team Warm』
Tippsyについて Tippsy(www.tippsysake.com)は、アメリカで日本酒をオンライン販売するベンチャー企業で、カリフォルニア州ロサンゼルスに拠点がある。300銘柄をこえる日本酒をボトルで販売してるほか、300mlのミニボトルが6本入った『Sake Box』のサブスクリプションも提供している。2018年の創業以来、私はクリエイティブディレクターとしてウェブサイトや印刷物のデザインやブランディングを担当している。 関連ページ Tippsy Sake 崎津鮠太郎デザインポートフォリオ Facebook内のトピックからできたプロジェクト Tippsyは『Tippsy Sake Club』というFacebookグループを開設していて、1000名をこえるメンバーによる活発な交流がオンラインで行われている。ある日、メンバーの一人からこんな投稿があった。 “When drinking sake, are you Team Chill or Team Warm?” 冷酒派のことを「Team Chill」、燗酒派のことを「Team Warm」と投稿者が名付けて、「日本酒を飲むとき、あなたはTeam ChillですかTeam Warmですか?」と聞いてみたわけである。この投稿には70以上の面白いコメントが寄せられ盛り上がった。 この盛り上がりをうけて、TippsyではTeam ChillとTeam Warmのグッズを作ることになった。Tシャツやコースターなどのアイディアもあったが、最初のグッズはトートバッグに決まった。私がイラストを描くことになった。ちなみに常夏のハワイでも「酒は純米、燗ならなお良し」を実践している私は、断然Team Warmである。 私はもちろんTeam Warm! トートバッグ制作会社を探す インターネットでいくつかのトートバッグ制作会社を探した結果、Enviro-Toteという1990年からトートバッグを作っている家族経営の会社がよさそうだった。クオリティの高いアメリカ製トートバッグは高い評価を得ているようだった。なによりもウェブサイトが見やすかったのが決め手となった。 Enviro-Toteの担当者とメールで見積もりやカスタマイズ依頼のやり取りをしていくうちに、カスタマーサービスの質が高い信頼できる会社であることがわかってきた。返事はすぐに来るし、的確かつ誠実に当方の質問や要望に答えてくれた。カスタマーサービスは最後まで大変満足のいくものだった。 イラストの作成 冷酒と燗酒をテーマにイラストを描くことになったわけだが、ありきたりのものでは面白くない。なにかユーモラスでファンタジックなものにしたいと思い、Team Chillでは人魚が冷酒を飲んでいて、Team Warmでは女性が盃の風呂に浸かって燗酒を飲んでいるというアイディアに行き着いた。 最初のドローイング アイディアをスケッチにしてTippsyのスタッフに見せてみたところ気に入ってもらえた。まずはTeam Chillのトートバッグを作ることになった。 イラストは目の粗いキャンバス生地に直接プリントされるため、線が細い精密な描写はできない。Enviro-ToteのスペックシートにはAdobeイラストレーターで1.5ポイントより細い線は使うべきではないと書かれている。印刷されない部分の隙間も2ポイント以上が推奨されている。このことに注意を払いながらイラストレーターで作画した。結果的に最初のドローイングよりもかなり簡素化されたイラストになった。 簡素化された最終的なベクターアート 完成 Tippsyトートバッグ『Team Chill』 Tippsyトートバッグ『Team Warm』 完成品のトートバッグはとてもいい出来栄えだった。幅46センチ、高さ37センチの丈夫なバッグは一升瓶でも十分に運べそうだ。バッグの内側にはスマホや財布が入る大きめのポケットがついていて、使い勝手がいい。 スクリーンプリントされたアート 小物入れに便利な内ポケット トートバッグは、Tippsyのウェブサイト(www.tippsysake.com)で販売されている。

石川酒造(多満自慢)酒蔵見学

石川酒造(多満自慢)売店「酒世羅」
タイムリーな縁を感じて 東京に数日滞在することになり、半日予定が空いていたので、見学可能な都内の酒蔵を検索したところ、福生市で「多満自慢」を造る石川酒造が見つかった。 駅から近くて行きやすそうだ。そしてなにより「多満自慢」といえば、私がデザインディレクターとしてブランディングを担当させていただいているロサンゼルスの日本酒販売会社「Tippsy」が展開している月額制サブスクリプションボックスの2019年4月版に、奥の松、水芭蕉とともに選ばれている銘柄ではないか。これは何かの縁だと思い、すぐに石川酒造に見学の予約を入れた。 新宿駅から拝島駅へ 新宿駅で、午前8時19分発の「ホリデー快速おくたま・あきがわ」に乗車した。土、日、祝日に運行される快速列車だ。車内は空いていたが、奥多摩への登山客と思われる人がちらほら見られた。9時4分、拝島駅で下車した。 多摩川を散歩 蔵の近くを流れる多摩川 予約した酒蔵見学は10時30分からだったので、時間つぶしに蔵の近くを流れる多摩川に歩いて行ってみた。河川敷は桜並木になっていて、桜が満開だったこの日は桜祭りが行われていた。うららかな快晴の朝に桜を楽しんだあと、酒蔵に向かった。 多摩川河川敷の桜並木 酒蔵へ 静かな住宅地に突如長い塀と白壁の建物が現れ、すぐにここが石川酒造だとわかった。「多満自慢」と書かれた大きな扁額が掛かる正門をくぐると、すぐ正面に本蔵があり、その左は売店「酒世羅」がある。敷地内は静かで人はあまりいない。 敷地の外から見た酒蔵 予約がいらない「お気軽散策コース」という、ガイドがつかない無料のコースもあったが、しっかり見学したい我々は、「多満自慢(日本酒)見学コース」の予約をしておいた。見学の予約したうまを売店で伝え、チェックインと支払い(1人700円)をすませた。 他に「クラフトビール飲み比べコース」(1人1000円)や、「酒蔵の幸御前付き見学コース」(1人1800円)などのコースもある。英語でのガイドも可能なので、興味がある方は石川酒造のウェブサイトをチェックしていただきたい。 ちなみに、我々の見学の第一希望は日曜日だったが、電話で問い合わせてみるとすでに定員15名分の予約が入っているとのことで、前日の土曜日にした。酒蔵見学の人気のほどがうかがえる。 この日は、ハワイからやってきた我々2名の他に、日本酒にとても熱心な女性2名のグループと、他の酒蔵も見学したことがあるという男性3名のグループの合計7名が見学に参加した。 石川酒造について 石川酒造入口 10時30分、言われた通り売店前に集まると、ガイド担当の石川さんが、まず石川酒造についてと今日の見学コースの概要を説明してくださった。ガイドの石川さんは、石川酒造の血筋の方かと勝手に思っていたが、後で伺うとそうではなかった。この辺りは石川姓がとても多いそうである。 石川さんによると、石川酒造は幕末の1863年に創業された。創業当時の蔵は、多摩川の対岸、現在のあきる野市にあり、「八重桜(やえさくら)」という銘柄の清酒を造っていたという。その後、1880年に現在の場所に移り、1933年には現在の銘柄である「多満自慢」が誕生した。 また1887年から約2年間はビールの醸造も行われ、「日本麦酒」というラガービールが販売されていた。その後、長い間ビールの醸造は行われていなかったが、1998年、111年ぶりに復活し、現在では「多摩の恵」と「Tokyo Blues」の銘柄で個性豊かなクラフトビールを醸造している。 現在「多満自慢」は、若い杜氏と4.5人の蔵人というごく少人数で丁寧に造られている。4.5人というのはどういう意味だろう。一人は半人前の見習いということだろうか。さらっと言われたので尋ねるのを忘れてしまった。 石川酒造の酒は、気温が低い秋から初春にのみ仕込みを行う昔ながらの「寒造り」によって造られているが、蔵人たちは季節労働者ではなく、社員として通年勤務している。酒造りの季節以外は社内のさまざまな業務に携わっているそうだ。私たちが訪ねたこの日は、敷地に鯉のぼりが設置されている最中で、この作業を蔵人の方がしておられた。 本蔵から見学開始 1880年建造の本蔵 見学は、幅約23m、高さ約13m、奥行き約31mの本蔵の中から始まった。石川酒造が現在の場所で酒造りを始めた1880年に建てられた蔵で、石川酒造の清酒はすべてこの本蔵で造られている。 ひんやりとした本蔵に入ると、タンクがずらりと並んでいる。ここに人数分の猪口に酒が用意されていて、いきなり最初のテイスティング。酒は多満自慢 純米無濾過。使用米はコシヒカリ、精米歩合は70%。穏やかな味わいの純米酒だった。燗にするとさらにおいしくなるそうだ。純米無濾過を飲みながら、石川さんが黒板を使って酒造りの基本的な工程、酒米と食用米の違い、酒造りによく使われる用語などを説明してくれた。 本蔵の内部 国登録有形文化財の建物群 敷地内の様子 本蔵をあとにして、敷地内の施設や植物の解説を受けながら、ゆっくりと歩いた。石川酒造には本蔵の他に、1775年以前に建てられたと伝わる長屋門、1863年に建てられた文庫蔵、1898年に建てられた雑蔵など、6つの建物が国の有形文化財に登録されていて、どの建物もとても見応えがある。 なお、雑蔵の2階は資料館になっており、石川酒造の史料が多数展示されている。入場は無料。 資料館 資料館に展示してある「多満自慢」や「八重桜」の古いラベル 仕込み水 仕込み水の性質が酒の風味を決定する 「多満自慢」は、敷地の地下150mより汲み上げる天然地下水を使用して造られる。水は中硬水で、この地下水の性質上、「多満自慢」は優しい口当たりの酒が多い。辛口の酒を欲しがる地元の「多満自慢」ファンもいるらしいが、この水から辛口の酒を作るのはなかなか難しいのだそうだ。 テイスティングルーム 歴史的建物、水、御神木である樹齢700年のケヤキなどを見学したあと、ビール工房でビール造りについて短い説明を受け、雑蔵の一階にあるテイスティングルームに移動した。 用意されていた席に座り、大吟醸、純米大吟醸、純米生原酒あらばしり、純米生原酒かめぐち、そして最後に梅酒の順にテイスティングした。この頃には参加者たちも打ち解けあって、それぞれ意見や感想を言いながら楽しいテイスティングになった。 お土産として「多満自慢」の銘が入った猪口をいただき、これで約45分の見学は終了。何度でもテイスティングしてよかったため結構な量を飲んでしまった。朝からほろ酔い状態になった私は、いい気分でテイスティングルームをあとにした。 この日テイスティングした6種類の酒 併設レストラン「福生のビール小屋」 石川酒造の敷地内には、「福生のビール小屋」というイタリア料理店もある。もちろん多満自慢、多摩の恵、Tokyo Bluesが揃っていて、料理に使う水は、仕込み水と同じ地下150mから汲み上げた天然地下水が使われているそうだ。 雰囲気の良いテラス席もあり、店の入り口にあったメニューはどれも美味しそうだったのでここで昼食にしようと思ったが、あいにく満席で入ることができなかった。見学中、昼前から敷地内を歩く人が多くなったなと思っていたが、皆レストランを目指していたのだ。ここでの昼食は諦め、石川酒造をあとにした。 写真はすべて筆者による撮影