日本

石川酒造(多満自慢)酒蔵見学

石川酒造(多満自慢)売店「酒世羅」
タイムリーな縁を感じて 東京に数日滞在することになり、半日予定が空いていたので、見学可能な都内の酒蔵を検索したところ、福生市で「多満自慢」を造る石川酒造が見つかった。 駅から近くて行きやすそうだ。そしてなにより「多満自慢」といえば、私がデザインディレクターとしてブランディングを担当させていただいているロサンゼルスの日本酒販売会社「Tippsy」が展開している月額制サブスクリプションボックスの2019年4月版に、奥の松、水芭蕉とともに選ばれている銘柄ではないか。これは何かの縁だと思い、すぐに石川酒造に見学の予約を入れた。 新宿駅から拝島駅へ 新宿駅で、午前8時19分発の「ホリデー快速おくたま・あきがわ」に乗車した。土、日、祝日に運行される快速列車だ。車内は空いていたが、奥多摩への登山客と思われる人がちらほら見られた。9時4分、拝島駅で下車した。 多摩川を散歩 蔵の近くを流れる多摩川 予約した酒蔵見学は10時30分からだったので、時間つぶしに蔵の近くを流れる多摩川に歩いて行ってみた。河川敷は桜並木になっていて、桜が満開だったこの日は桜祭りが行われていた。うららかな快晴の朝に桜を楽しんだあと、酒蔵に向かった。 多摩川河川敷の桜並木 酒蔵へ 静かな住宅地に突如長い塀と白壁の建物が現れ、すぐにここが石川酒造だとわかった。「多満自慢」と書かれた大きな扁額が掛かる正門をくぐると、すぐ正面に本蔵があり、その左は売店「酒世羅」がある。敷地内は静かで人はあまりいない。 敷地の外から見た酒蔵 予約がいらない「お気軽散策コース」という、ガイドがつかない無料のコースもあったが、しっかり見学したい我々は、「多満自慢(日本酒)見学コース」の予約をしておいた。見学の予約したうまを売店で伝え、チェックインと支払い(1人700円)をすませた。 他に「クラフトビール飲み比べコース」(1人1000円)や、「酒蔵の幸御前付き見学コース」(1人1800円)などのコースもある。英語でのガイドも可能なので、興味がある方は石川酒造のウェブサイトをチェックしていただきたい。 ちなみに、我々の見学の第一希望は日曜日だったが、電話で問い合わせてみるとすでに定員15名分の予約が入っているとのことで、前日の土曜日にした。酒蔵見学の人気のほどがうかがえる。 この日は、ハワイからやってきた我々2名の他に、日本酒にとても熱心な女性2名のグループと、他の酒蔵も見学したことがあるという男性3名のグループの合計7名が見学に参加した。 石川酒造について 石川酒造入口 10時30分、言われた通り売店前に集まると、ガイド担当の石川さんが、まず石川酒造についてと今日の見学コースの概要を説明してくださった。ガイドの石川さんは、石川酒造の血筋の方かと勝手に思っていたが、後で伺うとそうではなかった。この辺りは石川姓がとても多いそうである。 石川さんによると、石川酒造は幕末の1863年に創業された。創業当時の蔵は、多摩川の対岸、現在のあきる野市にあり、「八重桜(やえさくら)」という銘柄の清酒を造っていたという。その後、1880年に現在の場所に移り、1933年には現在の銘柄である「多満自慢」が誕生した。 また1887年から約2年間はビールの醸造も行われ、「日本麦酒」というラガービールが販売されていた。その後、長い間ビールの醸造は行われていなかったが、1998年、111年ぶりに復活し、現在では「多摩の恵」と「Tokyo Blues」の銘柄で個性豊かなクラフトビールを醸造している。 現在「多満自慢」は、若い杜氏と4.5人の蔵人というごく少人数で丁寧に造られている。4.5人というのはどういう意味だろう。一人は半人前の見習いということだろうか。さらっと言われたので尋ねるのを忘れてしまった。 石川酒造の酒は、気温が低い秋から初春にのみ仕込みを行う昔ながらの「寒造り」によって造られているが、蔵人たちは季節労働者ではなく、社員として通年勤務している。酒造りの季節以外は社内のさまざまな業務に携わっているそうだ。私たちが訪ねたこの日は、敷地に鯉のぼりが設置されている最中で、この作業を蔵人の方がしておられた。 本蔵から見学開始 1880年建造の本蔵 見学は、幅約23m、高さ約13m、奥行き約31mの本蔵の中から始まった。石川酒造が現在の場所で酒造りを始めた1880年に建てられた蔵で、石川酒造の清酒はすべてこの本蔵で造られている。 ひんやりとした本蔵に入ると、タンクがずらりと並んでいる。ここに人数分の猪口に酒が用意されていて、いきなり最初のテイスティング。酒は多満自慢 純米無濾過。使用米はコシヒカリ、精米歩合は70%。穏やかな味わいの純米酒だった。燗にするとさらにおいしくなるそうだ。純米無濾過を飲みながら、石川さんが黒板を使って酒造りの基本的な工程、酒米と食用米の違い、酒造りによく使われる用語などを説明してくれた。 本蔵の内部 国登録有形文化財の建物群 敷地内の様子 本蔵をあとにして、敷地内の施設や植物の解説を受けながら、ゆっくりと歩いた。石川酒造には本蔵の他に、1775年以前に建てられたと伝わる長屋門、1863年に建てられた文庫蔵、1898年に建てられた雑蔵など、6つの建物が国の有形文化財に登録されていて、どの建物もとても見応えがある。 なお、雑蔵の2階は資料館になっており、石川酒造の史料が多数展示されている。入場は無料。 資料館 資料館に展示してある「多満自慢」や「八重桜」の古いラベル 仕込み水 仕込み水の性質が酒の風味を決定する 「多満自慢」は、敷地の地下150mより汲み上げる天然地下水を使用して造られる。水は中硬水で、この地下水の性質上、「多満自慢」は優しい口当たりの酒が多い。辛口の酒を欲しがる地元の「多満自慢」ファンもいるらしいが、この水から辛口の酒を作るのはなかなか難しいのだそうだ。 テイスティングルーム 歴史的建物、水、御神木である樹齢700年のケヤキなどを見学したあと、ビール工房でビール造りについて短い説明を受け、雑蔵の一階にあるテイスティングルームに移動した。 用意されていた席に座り、大吟醸、純米大吟醸、純米生原酒あらばしり、純米生原酒かめぐち、そして最後に梅酒の順にテイスティングした。この頃には参加者たちも打ち解けあって、それぞれ意見や感想を言いながら楽しいテイスティングになった。 お土産として「多満自慢」の銘が入った猪口をいただき、これで約45分の見学は終了。何度でもテイスティングしてよかったため結構な量を飲んでしまった。朝からほろ酔い状態になった私は、いい気分でテイスティングルームをあとにした。 この日テイスティングした6種類の酒 併設レストラン「福生のビール小屋」 石川酒造の敷地内には、「福生のビール小屋」というイタリア料理店もある。もちろん多満自慢、多摩の恵、Tokyo Bluesが揃っていて、料理に使う水は、仕込み水と同じ地下150mから汲み上げた天然地下水が使われているそうだ。 雰囲気の良いテラス席もあり、店の入り口にあったメニューはどれも美味しそうだったのでここで昼食にしようと思ったが、あいにく満席で入ることができなかった。見学中、昼前から敷地内を歩く人が多くなったなと思っていたが、皆レストランを目指していたのだ。ここでの昼食は諦め、石川酒造をあとにした。 写真はすべて筆者による撮影

ボブ・ディランのコンサート

初めてのボブ・ディラン 私は、18歳のときから今にいたるまでずっとボブ・ディランの大ファンである。このことは「エルヴィス、ビートルズ、そしてボブ・ディラン」で詳しく書いた。ボブ・ディランのコンサートには、これまで3度行ったことがある。1度目は、私がまだ日本にいた2001年、福岡でのコンサートだった。 私は当時23歳、ボブは60歳の誕生日の約2ヶ月前だった。会場はサンパレス福岡。私と同じ時期からボブ・ディランの大ファンになった母と、大学の音楽サークルの後輩と3人で熊本から観に行った。会場は椅子のある大きなコンサートホールで、我々の席はホールの真ん中あたりだった。英語のMCで紹介され、ボブ・ディランが登場。観客からは大きな拍手と歓声。私も母も、ファンになって5年目で初めての生ボブだ。 1曲目は軽快なブルーグラスの曲。聴いたことがなかったが、後で調べると「Hallelujah, I’m Ready to Go」という曲で、ボブのオリジナル曲ではない。ボブはこの曲を、1999年から2002年にかけてのコンサートで合計37回演奏したそうだ。いきなり知らない曲から始まったので、やや拍子抜けしたのは否めない。しかし今思えば、この時期しか聴けない珍しい曲を聴くことができてよかったということだ。 至福のミスター・タンバリン・マン 1曲目が終わり、すぐに2曲目のイントロに入るが、また何の曲か見当もつかない。しかしこの私の不安は、ボブが歌いだした瞬間、「ワアーッ!」という観客の歓声と拍手とともに消えた。私が、ボブ・ディランに限らず今まで出会ったすべての曲の中で最も好きな曲、「Mr. Tambourine Man(ミスター・タンバリン・マン)」だった。 私も母も絶叫に近い声をあげて喜んだ。 軽やかでメロディアスなオリジナルバージョンとは異なり、重厚で、まるでお経でも唱えるように歌っていく。ボブによる長いギターソロもあり、素晴らしいの一言。あとで新聞で知ったことだが、今回の日本公演で「ミスター・タンバリン・マン」を初めて演奏したのがこの日だったらしい。ラッキーだった。 それにしても、なんという大胆なアレンジだろう。以後の曲もそうだが、イントロだけではなんの曲かわからないものが多いのだ。そして、この時期のボブのライブパフォーマンスの特徴だが、ギターソロを積極的に弾いてくれるのも嬉しい。 往年の名曲たちを堪能 その後ボブは、「Desolation Row(廃墟の街)」、「Just Like a Woman(女の如く)」、「Masters of War(戦争の親玉)」など往年の名曲を次々と演奏していく。ハーモニカのソロでは大きな歓声が起こった。至福の時間だった。9曲目の「Don’t Think Twice, It’s All Right(くよくよするなよ)」は、特に素晴らしかった。軽快なリズムに乗せて、優しくささやくように歌っていた。この曲はイントロですぐにわかった。 アンコール前最後の曲の「Rainy Day Women #12 & 35(雨の日の女)」では、観客が立ち上がり、ステージ前に押し寄せた。我々も負けじと前に行った。母はこのときに何度もボブと目が合ったらしい。 最高潮でフィナーレへ アンコールで再登場後2曲目は、私がボブにはまったきっかけになった曲、「Like a Rolling Stone」だった。震えるほど感動した。そして最後の曲は、フォーク時代の代表曲「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」だった。私はこの2曲のライブバージョンといえば、ライブアルバム「Before the Flood」に収録されているバージョンが最も好きだが、生で聴いたこの日の「Like a Rolling Stone」と「Blowin’ in the Wind」は、また格別だった。 2度目のボブのコンサートは、2010年11月のニューヨーク、そして3度目は2014年4月のホノルルだ。いずれも素晴らしいパフォーマンスだった。

エルヴィス、ビートルズ、そしてボブ・ディラン

エルヴィスが子守唄 生まれた時から熊本の実家では、年中、父親が偏愛したエルヴィス・プレスリーの曲が流れていた。大げさではなく、エルヴィスの歌を子守唄にして育ったようなものだ。当然、エルヴィスの曲はほとんど歌えるほど知っている。 中学生になると、エルヴィスの音楽性やカリスマ性もよく理解できるようになった。私は特に初期のロカビリー色の強い曲が好きだった。サン・レコード時代の「Blue Moon of Kentucky」、「I Don’t Care if the Sun Don’t Shine」、「Baby Let’s Play House」、「Mystery Train」などをひたすら聴いていた。今もこれらの曲を聴くと、熊本の少年時代の情景や思い出や匂いがノスタルジックに蘇ってくる。 ビートルズに没頭した高校時代 そこから自然の流れで、カール・パーキンス、チャック・ベリー、リトル・リチャードなど、エルヴィスが歌った名曲たちを作った同時代のアーティストや、彼らの曲をカバーしたザ・ビートルズなども聴くようになった。 特にビートルズは、私が高校1年生のときに通称「赤盤・青盤」と呼ばれるコンピレーションアルバムがCDで発売されたということもあり、よく聴いた。高校1年生の冬から毎月1枚ずつ、デビューアルバム「Please Please Me」から順にすべての英国版CDアルバムを、熊本市街の上通りにあるウッドペッカーというレコード屋で買い揃えて愛聴した。“英国版”というのが小さなこだわりだった。 翌年、高校2年生のときに「Live at the BBC」が発売され、エルヴィスのバージョンで慣れ親しんでいた「That’s All Right (Mama)」、「I Forgot to Remember to Forget」、「I Got a Woman」、「Johnny B. Goode」などの曲のビートルズによるライブカバーを聞いて、さらにビートルズに熱中していった。 特に、ジョン・レノンが好きだった。 さらに翌年、高校3年生の大晦日、テレビで「ザ・ビートルズ・アンソロジー」のドキュメンタリーが放映された。紅白歌合戦の裏番組だった。番組の案内役だった小宮悦子さんもジョンのファンで、「Strawberry Fields Forever」などの曲が好きだと言っていたのが嬉しかったことを覚えている。 そしてボブ・ディランへ ドキュメンタリーのなかで、ビートルズに大きな影響を与えた人物としてボブ・ディランが登場した。とくにジョンが熱狂的に惚れ込んだと知って、私もボブ・ディランのことが気になった。 ボブ・ディランはたくさんのアルバムを出していて、いつの時代のどのアルバムを買えばいいか迷ったが、まずは有名な「Like a Rolling Stone」が収録されている「Highway 61 Revisited」を買った。 一曲目の「Like a Rolling Stone」のイントロから一番を聴いてすぐ、ノックアウトされた。めちゃめちゃかっこいいと思った。今まで聴いてきたどんな曲とも違っていた。30年前の曲とは信じられないくらいなにもかも斬新に聴こえた。もちろん、当時18歳の私には歌の意味はほとんどわからなかったが、なんとなくすごいということは感じとれた。ちなみに、ボブ・ディランには、歌詞の内容はわかってもその歌の真意は難解すぎてわからない曲がたくさんある。 アルバム最後の曲「Desolation Row」も、とんでもない曲だと思った。11分もあるアコースティックギターでの弾き語り曲で、いろんな登場人物が出てくるが、なかなか意味がわからない。でもなんかかっこいいのだ。歌詞をみながら何度も何度も聴いた。長大な歌詞だが、今では一字一句すべて覚えてしまった。2001年3月に福岡で初めてボブ・ディランのコンサートを観たが、そのときの3曲目で「Desolation Row」を生で聴けたのは嬉しかった。なお、この日のことは「ボブ・ディランのコンサート」で詳しく書いた。 「Highway 61 Revisited」を聴いた母も、私と同じようにボブ・ディランにはまってしまった。以降は、母と一緒にせっせと全アルバムを買い揃えた。 ボブ・ディランを聴いて、確かに彼がビートルズに影響を与えたことがわかった。まず歌詞の内容が「Rubber Soul」あたりから哲学的になっていくし、サウンドがボブ・ディランっぽい曲がちらほらある。ジョンの「You’ve Got to Hide Your Love Away」はいかにもボブ・ディラン風だし、ポールの「Rocky...