崎津 鮠太郎

Entries by 崎津 鮠太郎

マヌオクー・フェスティバル

紙で作られたマヌオクー(シロアジサシ)
天空の妖精を愛でるお祭り 今年で2回目となる『マヌオクー・フェスティバル(Manu-o-Kū Festival)』が、2017年5月20日土曜日の午前11時から午後3時まで、イオラニ宮殿の敷地内で開催された。去年の第1回イベントには予定が合わず行けなかったが、今年は行くことができた。 このイベントの主役であるマヌオクーとは、ホノルル市内に生息するシロアジサシのハワイ語名で、私が特に好きな鳥のひとつである。真っ白な海鳥で、2007年より『ホノルル市の鳥』に指定されている。 英語ではWhite Tern(白いアジサシ)と呼ばれるほか、「妖精のようなアジサシ」という意味のFairy Ternという名前もある。顔や仕草がとても愛らしく、飛翔する姿は軽やかかつ優雅で、まさに妖精の名にふさわしい。 マヌオクーのペア 不思議なことに、マヌオクーは、ハワイの主要な島々ではオアフ島の都市部にのみ生息する。繁殖地は、わずかな例外を除いては、西はアロハ・タワーから東はニウ・バレーあたりまでの狭い地域に限られている。しかもどういうわけか、ダウンタウン、ワイキキ、アラモアナなどの、人の活動で特に賑やかな街に集中している。 関連記事 マヌオクー(シロアジサシ) アヌヘア:ハワイの花・植物・野鳥図鑑 マヌオクー・フェスティバル そんな愛すべきマヌオクーについてより多くの人々、特に子供たちに知ってもらうために、2016年5月14日に第1回『マヌオクー・フェスティバル』が開かれ、今年は2回目の開催となった。開催しているのはConservation Council for Hawaiʻiという非営利団体で、他に多くの団体、機関、企業がパートナーやスポンサーとして参加している。入場は無料。 会場であるイオラニ宮殿の敷地内には、大きなテントがたてられ、その中で子供向けのゲームや工作、デジタル写真展、マヌオクーをはじめとしたハワイの野鳥について学べるブースなどが、所狭しと並んでいた。会場は家族連れで賑わっていて、子供たちが熱心に紙工作でマヌオクーを作ったり、ゲームを楽しんだりしていた。 マヌオクーのお面 海鳥について学習できるブース デジタル写真展では、複数の写真家たちによるマヌオクーの写真のスライドショーが、モニターで展示されていた。私も、この写真展の担当のかたとご縁があり、僭越ながら10枚ほどの写真を提出させていただいた。 私も参加させていただいたデジタル写真展 望遠鏡でマヌオクーを実際に観察 テントの真横に立っている大きなククイの木では、奇しくもマヌオクーが子育てをしている最中であった。木の下には、そのヒナにスポットをあてた望遠鏡が2台設置されていて、皆とても興味深そうに望遠鏡を覗いていた。また空を見上げると、数羽のマヌオクーが飛び回っていた。 イオラニ宮殿とその周辺のダウンタウンには、マヌオクーの繁殖地がたくさんある。当フェスティバルのイベントの一つとして、これらの繁殖地を歩いて回るツアーも行われたようである。 営巣中のマヌオクーを観察できる望遠鏡 マヌオクーが800万ドルの工事を延期に ダウンタウンのマヌオクーといえば、今年3月、ハワイ州立美術館のバルコニーでマヌオクーが抱卵していることがニュースになった。なぜなら、美術館がある建物では予算800万ドルをかけた大規模なメンテナンス工事が予定されていたが、このマヌオクーのヒナが巣立つまで、工事が延期になったからである。 マヌオクーの親子 マヌオクーに危害を加えたり、卵やヒナを動かしたりして子育ての邪魔をすることは、州と国の法律で禁止されている。 メンテナンス業者にとってはせっかくの仕事が延期になってしまって歯がゆいことかもしれないが、私は、このように自然や野生動物を守ることに重きをおくハワイが、あらためて好きになった。 マヌオクーの家族 写真はすべて筆者による撮影

ハワイでハイキング:ライアン樹木園のアイフアラマ滝(オアフ島)

チャイニーズグラウンドオーキッド
樹木園内をハイキング ホノルル市内に数多くある森林トレイルで、観光客やファミリーに1番人気のトレイルは、おそらくマーノア・バレー(Mānoa Valley)の奥にあるマーノア滝(Mānoa Falls)へ行くコースだろう。こちらのコースもいずれ紹介したいが、今回は、その隣にあるライアン樹木園(Lyon Arboretum)内のアイフアラマ滝(ʻAihualama Falls)までハイキングに出かけた。 ライアン樹木園(Lyon Arboretum)は、オアフ島マーノア・バレーの奥部に位置する樹木園。194エーカーという広大な敷地に、5,000種以上の熱帯植物が植えられている。 ハワイ大学によって管理されており、ハワイのユニークな植物相の研究や保護が行われている。また植物だけでなく、鳥、昆虫、川辺の生態系、気象、土壌、水文学など、様々な分野での研究の場、教育の場となっている。一般市民向けのセミナーやヨガなどのイベントも頻繁に行われている。 開園日と時間は、2017年5月現在、以下の通り。 月曜~金曜:午前8時~午後4時土曜:午前9時~午後3時休園日:日曜、州・国の祝日 トレイル概要 名前Lyon Arboretum場所オアフ島ホノルル(Honolulu)。McCully Shopping Centerから約7km駐車場ありトイレあり高低差約70m距離往復約2km時間往復2~3時間(トレイル入口まで行く時間は除く。筆者は頻繁に長い時間立ち止まって写真を撮ることが多いので、あくまでも目安) トレイル入口までの行き方 地図 車で行く場合(McCully Shopping Centerから) Kapiʻolani Blvd.を東(ダイヤモンドヘッド方面)に進む。University Ave.を左折。S King St.との交差点を直進。H1フリーウェイの下を通りすぎる。ハワイ大学を右手に通りすぎる。Oʻahu Ave.を道なりに右折(曲がり角はゆるやかで信号機はない)。E Mānoa Rd.を直進(信号機あり)。信号機がない5叉路で、Mānoa Rd.を右折。マーノア・フォールズ・トレイル(Mānoa Falls Trail)の駐車場を右手に通り過ぎる。鬱蒼とした森のなかを、Mānoa Rd.の終点まで進む。マーノア・フォールズ・トレイルの入り口手前を左折。Mānoa Rd.の終点に、ライアン樹木園(Lyon Arboretum)の駐車場がある。 バスで行く場合(アラモアナセンターから) 山側(Kona St.)のバス停からマーノア方面行きの5番バスに乗り、Mānoa Rd. + Kumuone St.で下車(乗車時間約30分)。バス停からライアン樹木園まで徒歩約20分。 まずは管理事務所へ 駐車場から奥に進むと、樹木園の管理事務所がある。ここで入園者全員の名前を記入する。入園料は定められていないが、寄付箱があり、一人5ドルの寄付が求められている。管理事務所では、樹木園やトレイルの地図が掲載されたパンフレットや、野鳥のチェックリストなどをもらうことができる。なお、敷地内にレストランやカフェはないが、ギフトショップで飲み物やスナックは販売されている。 トレイルのスタート地点は、駐車場の入り口近く(管理事務所の反対側)にある。敷地内はよく整備されており、標識も点在しているので、道に迷うことはあまりないだろう。 また、トレイルから外れたエリアにも様々な植物が植えてあり、種名、科名、学名などが記されたプレートがそれぞれに設置されているので、植物見学に適している。 コキオ(kokiʻo)と呼ばれる、ハワイ固有のハイビスカス 例えば、Native Hawaiian Plant Garden(ハワイ在来植物の庭)では、コア、オーヒア・レフア、ハイビスカスなどのハワイ在来の植物が植えられており、Hawaiian Ethnobotanical Garden(ハワイの民族植物学の庭)では、オヘ(南太平洋原産の竹)、ウアラ(サツマイモ)、キー(ティ)など、古代ハワイ人が衣食住のための道具や材料として利用した植物が植えられている。 また、Great Lawnと呼ばれる芝生広場もあり、ここでピクニックを楽しむ地元の家族連れも多い。私が出かけた日は、男性がフライフィッシングのキャスティング練習をしていた。 メイントレイルとサイドトレイル メイントレイル 滝に向かうメイントレイル(本道)は、駐車場から北に伸びている。ほかにも、さまざまなサイドトレイルが本道から分かれている。サイドトレイルからは、Fern Valley(シダの谷)、Bromeliad Garden(アナナスの庭)、Inspiration Point(インスピレーション・ポイント)、Hawaiian Section(ハワイアン・セクション)などのエリアに行くことができる。 インスピレーション・ポイント アイフアラマ滝 メイントレイルの終点は、アイフアラマ滝(ʻAihualama Falls)という小さな滝である。滝がある川はアイフアラマ川(ʻAihualama Stream)で、ハワイ大学東側やアラワイのゴルフコース西側を通ってアラワイ運河に注ぐマーノア川(Mānoa Stream)の支流である。 アイフアラマ滝 滝の近くでは、チャイニーズグラウンドオーキッド (Chinese ground orchid)が綺麗な花をつけていた(ページトップの写真)。中国やオーストラリアなどが原産のランで、ハワイでは外来種としてカウアイ島、オアフ島、ラーナイ島、ハワイ島で自生している。 滝を楽しんだあと、来た道を戻った。 写真はすべて筆者による撮影 ※この記事は、筆者の主観に基づいたハイキング日記であり、読者の皆様を安全なハイキングへと導くトレイルガイドではありません。この記事を参考にして実際にトレイルに行かれる場合は、必ず「ハワイでハイキング:はじめに」をお読みください。

ハワイでハイキング:プウ・ピア(オアフ島)

プウ・ピア・トレイル(ホノルル市)
マーノアの小さな丘 東京からハワイに遊びに来ていた友人を連れて、マーノア・バレー(Mānoa Valley)の奥に小高く盛りあがった、プウ・ピア(Puʻu Pia)という小さな丘に登った。 ハワイ語でプウ(puʻu)は、丘という意味。ピア(pia)は、タシロイモというヤマノイモの一種のこと(学名:Tacca leontopetaloides)。ピアは、古代ポリネシア人がハワイに持ち込んだ有用植物のひとつで、ハワイの伝統的なプディング、ハウピアの材料として知られる。つまりプウ・ピアは「タシロイモ丘」という意味である。昔はこの丘にタシロイモがたくさん生えていたのだろうか。 トレイル概要 名前Puʻu Pia場所オアフ島ホノルル(Honolulu)。McCully Shopping Centerから約6km駐車場路上駐車トイレなし高低差約150m距離往復約3.2km時間2~3時間(トレイル入口まで行く時間は除く。筆者は頻繁に長い時間立ち止まって写真を撮ることが多いので、あくまでも目安) トレイル入口までの行き方 地図 車で行く場合(McCully Shopping Centerから) Kapiʻolani Blvd.を東(ダイヤモンドヘッド方面)に進む。University Ave.を左折。S King St.との交差点を直進。H1フリーウェイの下を通りすぎる。ハワイ大学を右手に通りすぎる。Oʻahu Ave.を道なりに右折(曲がり角はゆるやかで信号機はない)。すぐにE Mānoa Rd.を右折(信号機あり)。Mānoa Marketplaceを右手に通りすぎる。Akāka Pl.とのY字路を右(E Mānoa Rd.)に進む。Alani Dr.を左折。道が右に直角にカーブしWoodlawn Dr.になる付近に路上駐車する。 バスで行く場合(アラモアナセンターから) マーノア方面行きの6番バスに乗り、Alani Dr.で下車。バス停番号:783。バス停からトレイルの入り口はすぐ近い。 ハイキング開始 プウ・ピア・トレイル入口付近 11時30分にハイキングをスタートした。曇り時々雨。 Woodlawn Dr.の右カーブの手前に、Nā Ala Heleの茶色に黄色い文字の標識がある。Nā Ala Heleは、ハワイ州のトレイルを管理している組織だ。ここから先のAlani Dr.は1車線になり、私道のような雰囲気だが、ここを通り終点まで進む。最後の民家をすぎると、トレイルの入り口がある。 舗装道路が終わると、砂利道になり、やがて土の地面になる。すぐに標識があり、右に曲がる広いトレイルがある。このトレイルはコロワル・トレイル(Kolowalu Trail)といい、ワアヒラ・リッジ(Waʻahila Ridge)へと登る道である。我々はプウ・ピアに登るので、まっすぐ進む。 暗い森の中で、1羽のアカハラシキチョウが出迎えてくれた。トレイルまで出てきたので間近で見ることができた。この日観察できた野鳥は、この1羽だけだった。長い尾を持つアジア原産の鳴禽で、黒い体にオレンジ色の腹が目立つ。さえずりがとても美しい。 関連記事 アカハラシキチョウ アヌヘア:ハワイの花・植物・野鳥図鑑 マーノアは今日も雨だった 木の根と岩がむきでた道は、緩やかな上り坂。やがて雨が降ってきた。前回このトレイルに来たときも雨だった。マーノアは雨が多い。ここでのハイキングは、いつもある程度の雨は想定しておかなければならない。雨具はマストアイテムだ。たとえハイキング時に晴れていても、地面はぬかるんでいたり水たまりがあることが多い。 プウ・ピアの頂上からの眺め 頂上に近づくにつれ、ストロベリーグアバが目立ち始める。40分ほどで頂上に到着した。頂上には、背もたれのない細いベンチがひとつ設置してある。手前の木々が生い茂っていて景色はあまり見えないが、靴を脱いでベンチの上に立てば、マーノアバレー、その奥にワイキキのビル群、そして一番奥に海が見えた。幸い、頂上では雨が止み、晴れ間がのぞいた。 マーノア・バレーとコアの木 マーノアバレーの奥側の景色は、ここより少し手前の開けた場所のほうがよく見える。手前にはコアの木が生えている。マウンテン・ナウパカもみられたが、花は咲いていなかった。どちらとも、ハワイにしか生息していない固有種だ。耳をすますと、マーノア・バレーの奥のほうで滝が落ちる音が聞こえる。これは、ハイキングコースとして家族連れにも人気があるマーノア・フォールズ(Mānoa Falls)の滝の音と思われる。 関連記事 コア アヌヘア:ハワイの花・植物・野鳥図鑑 関連記事 マウンテン・ナウパカ アヌヘア:ハワイの花・植物・野鳥図鑑 帰りは来た道を下るが、また雨が降り出した。今度は本降りだ。特に下り道は滑りやすいので、足元に注意しながら下った。ハイキング後、アロハタワー・マーケットプレイスのゴードン・ビアッシュ(Gordon Biersch)で遅めのランチをとった。マーノアからほんの数キロしか離れていないにもかかわらず、アロハタワーやワイキキは、いつものように快晴だった。ついさっきまでマーノアで雨でずぶ濡れになっていたのが嘘のようだった。 写真はすべて筆者による撮影 ※この記事は、筆者の主観に基づいたハイキング日記であり、読者の皆様を安全なハイキングへと導くトレイルガイドではありません。この記事を参考にして実際にトレイルに行かれる場合は、必ず「ハワイでハイキング:はじめに」をお読みください。

ハワイでハイキング:はじめに

ワアヒラ・リッジ
エコツアーのすすめ バードウォッチングのためにハイキングをすることが多いので、私が出かけたハワイのハイキングトレイルを、これから当ブログで紹介していこうと思っています。しかし、まず最初に申し上げておきたいのは、当ブログで紹介するトレイルは、読者の皆様にとって必ずしも安全なトレイルではないということです。 当ブログのハイキングに関するすべての記事は、あくまでもアマチュアハイカーである私のハイキング日記であって、読者の皆様を安全なハイキングへと導くトレイルガイドではありません。当ブログで紹介されたトレイルに実際に出かけられる際には、必ず本などで十分に調べたうえ、自己責任でお出かけください。 たとえどんな簡単なハイキングコースでも、相手は自然です。そして、忘れてはならないのは、ハワイは外国であるということ。ビギナーや旅行者で、ハワイの地理や英語、現地のマナーなどにすこしでも不安があるかたは、まずはエコツアーに参加されることをお勧めします。エコツアーでは、ハワイに精通したプロのガイドによって、ハワイの自然や文化についての深い知識が得られるだけでなく、まずなによりも、安全に、自然に優しいハイキングを楽しむことができるからです。 山や森に入る心構え 私たち人間が山や森に入るということは、そこに暮らす野生の動植物たちの世界に「部外者」として訪れることだと私は考えています。山は本来、畏敬の気持ちをもって遠くから仰ぎ眺めるものであって、普段平地で暮らす者がやたらと足を踏み入れないというのが、古来から人間としての素直な態度であるとも思います。山や森は危険に満ち溢れた場所です。少なくとも、自然への畏敬の念を欠いた軽い気持ちや娯楽感覚では、山や森に近づくべきではありません。 しかし、矛盾しますが、実際に山や森に入ることで、自然はたくさんの有意義なことを教えてくれますし、実際に山や森に入らないとできないディープな体験もあります。山や森に入る場合は、想像もつかないようなリスクが誰の身にも起こりうることを認識し、覚悟し、そして自然への愛と畏敬と謙虚な気持ちを常に抱いて、ハイキングを楽しんでいただきたいと思います。 最新情報をチェック トレイルのコンディションは日々変わります。当サイトで紹介したハイキングコースの情報が古くなっていることもあるでしょう。トレイルが通る土地の持ち主が、その土地への侵入を禁止することもあれば、事故や崖崩れなどによってトレイルそのものが閉鎖される場合もあります。また、新しい建物ができてトレイルのコースが変わっていることも考えられますし、風化や植物の繁茂などが原因で、標識がなくなっていたり隠れて見えなくなっていることもあるでしょう。 当サイトで紹介したトレイルに実際に出かけられる場合は、記事の内容をそのまま頼りにしないで、ご自身の常識に基づいた判断で行動してください。そして、ハイキングに出かける前には、必ずトレイルや天候の最新情報をチェックしてください。 Nā Ala Hele(ハワイ州のトレイル管理プログラム) https://hawaiitrails.org National Weather Service http://www.weather.gov 知人や家族に計画を知らせて、2人以上で出かける ハイキングに行くトレイルの名前、場所、出発時刻、帰りの予定時刻を、出発前に知人や家族に知らせておきましょう。また、2人以上で出かけることが、一般的な常識とされています。 駐車マナーを守る トレイルによっては、駐車場がなく、住宅地に路上駐車をする必要があることも多くあります。路上駐車をするときは、必ず道路標識に従い、近隣住民の迷惑にならないようにしてください。住宅地で大きな声で騒いだりゴミを捨てたりしないようにしましょう。 貴重品は常に持ち歩く 治安のいい日本と違って、鍵をかけた車の中だからといって安心はできません。財布などの貴重品は車内に置かず、必ず荷物に入れて常に持ち歩くようにしましょう。 靴についた土などを落として森に入る ハワイの森には、在来の動植物が多く生息しています。これらの在来種は、外来種の侵略に脆いものが多く、在来植物がいつの間にか外来植物に駆逐されてしまうことも珍しくありません。他の土地で履いた靴には、土と一緒に外来植物の種子が付いている可能性があります。森に入る前に靴についた土をよく落とすことは、外来植物の移入と拡散を少しでも防ぐことになります。トレイルの入り口に、靴の汚れを落とすためのブラシが設置されている場所もあります。 標識に従う カネアロレ・トレイルとマウナラハ・トレイルの交差点にある標識と掲示板(ホノルル市マキキ地区) トレイルに設置してある標識や掲示板の指示には必ず従いましょう。標識に従わなかった結果トラブルが発生しても、「英語だからわからなかった」では通用しません。 常にトレイルを歩く ハワイの森は茂みが深い場合が多く、想像以上に簡単に道に迷ってしまいます。また、崖や大きな穴が、シダなどの茂みに覆われて隠れていることも珍しくありません。必ず整備されたトレイルのみを歩くようにしましょう。 川や湖沼の水を飲まない ハワイの川や湖の水を飲むと、レプトスピラ症(Leptospirosis)に感染する恐れがあります。主に熱帯や亜熱帯で流行する感染症です。病原株は淡水や泥中で長い期間生きることができ、人の目、鼻、口、傷口などから入ってきます。レプトスピラ症の感染を防ぐためには、第一に川や湖沼の水を飲まないことですが、川沿いのハイキングでは長ズボンをはくこと、そしてたとえ水が澄んでいても川や滝で泳がないことで感染するリスクを下げることができると言われています。 自身のコンディションと天候を知り、無理をしない トレイルの安全度や難易度は、ハイカー自身のコンディション、そして天候状態との相対関係にあります。例えば、地面が乾いている晴れの日の、完全装備で体調万全のAさんにとっては安全なトレイルであっても、雨で地面がぬかるんでいる日の、装備が不十分で風邪気味のBさんにとっては、危ないトレイルになりえます。自身の装備、体力、健康状態、年齢、経験の有無、そして天候をよくふまえて、決して無理をしないようにしましょう。 救助が必要な緊急事態の場合 もし道に迷ったり、極度な悪天候に見舞われたり、日没までに下山できなくなってしまったり、怪我をして動けなくなったり、体調が悪くなったりした場合には、すぐに911番に電話をし、レスキューを依頼します。トレイルの名前と位置と、何が起きたのかを説明します。「Japanese operator, please.」といえば日本語ができるオペレーターに繋げてもらえるという話も聞いたことがありますが、しかし、まずこのくらいの英語ができるメンバーが一人もいないのなら、そもそも自分たちだけでハワイの山に入るべきではないと思います。英語が話せる経験豊富なハイカーに同行してもらうか、エコツアーに参加されることをお勧めします。 持っていくもの 以下は、オアフ島内のビギナー向けの軽いハイキング(往復2~4時間程度)に行くときの、私の装備の例です。半日以上の長いハイキングや、峻険な山を登る場合、亜高山帯や高山帯に入る場合などは、当然装備はまったく異なります。個人差もありますので、あくまで参考としてください。 靴 多くのビギナー向けトレイルは、ひも付きの運動靴で大丈夫ですが、トレッキングブーツがあればなおよいでしょう。ビーチサンダルで山のトレイルを歩くローカルの人たちをよくみかけますが、お勧めできません。また、マーノアなどの雨が多い場所では、晴れていても地面が泥でぬかるんでいたり、水たまりの上を歩かなければいけないことも珍しくありません。その場合、靴は泥まみれになること必至なので、新品の靴や大切な靴は履かない方がいいかもしれません。 服 私は通常、上は半袖のTシャツに、下は動きやすい長ズボンをはきます。デニム生地のジーンズは不向きです。 飲料水 熱帯のハワイでは、冬でも日光が強く降り注ぎます。脱水症状にならないように注意が必要です。必要な水の量は個人差がありますが、どんなに簡単なハイキングでも最低1人1リットルの飲料水はあったほうがよいと一般的にはいわれています。 虫除けスプレー マーノアやタンタラスなどの標高が低い森では、お腹を空かせた蚊の大群が待ち構えています。 ゴミ袋 ハワイのほとんどのトレイルにゴミ箱はありません。あるとしても入り口のみです。ハイキングで生じた全てのゴミ(弁当の食べ残し、食べ終えたリンゴの芯やオレンジの皮なども含む)は、きちんと持ち帰りましょう。 その他 タオル、携帯電話、帽子、雨具、傘、食料、日焼け止め、サングラス、腕時計、救急用品、ポケットティッシュ、呼び笛、地図、ハイキングガイドブック、着替えなど。 写真はすべて筆者による撮影

第39回プリンスロット・フラフェスティバル

モアナルアガーデンのモンキーポッド
王子を讃えるフラの祭典 夏真っ盛りの7月、私がハワイで毎年楽しみにしているイベントがある。ホノルル市内のモアナルアガーデンで開催される、プリンスロット・フラフェスティバル(Prince Lot Hula Festival)というフラの祭典だ。 まず、フラについて。いわゆるフラダンスのことだが、「フラ(hula)」がそもそも「踊り」という意味のハワイ語なので、フラダンスは「踊り踊り」という重言になる。このブログでは、日本でも「フラ」で一般に定着することを期待して、ハワイでの正しい言い方である「フラ」で統一する。 プリンスロットは、「ロット王子」という意味。ハワイの王朝時代に実在したロット・カプアーイヴァ(Lot Kapuāiwa、1830–1872)のことで、1862年より国王カメハメハ5世になる人物である。一時は禁止されていたフラの復活に尽力した人として知られる。モアナルアは、プリンスロットが気に入っていた場所だったそうで、かの地で夏に過ごすためのコテージも建てた。プリンスロットは、モアナルアでよくパーイナ(pāʻina、夕食会)を開き、客人をフラとメレ(音楽)でもてなしたという。コテージは、その後何度か移築され、現在はモアナルアガーデン内にある。 そんなプリンスロットの功績を讃え、彼にゆかりのあるモアナルアの地で、彼の名を冠したフラの祭典『プリンスロット・フラフェスティバル』が、1978年に始まった。以来、非営利団体モアナルアガーデン財団(Moanalua Gardens Foundation)によって毎年開かれている。 2014年までは、7月の第3土曜日に開催されていたが、2015年から土曜と日曜の2日間行われるようになった。私は、2006年に友人が出場したのを観に行って以来、予定が合うかぎり毎年観に行っている。今年は7月16日と17日に開催され、2日間で20のハーラウ(hālau。フラの一座、学校)が出演した。また今年は、2日目の最初にライアテア・ヘルム(Raiatea Helm)のコンサートもあったが、私は残念ながら今年は2日目には行くことができなかった。 競技会ではない ハワイにはたくさんフラの祭典や大会がある。毎年4月にハワイ島のヒロで開催される『メリーモナーク・フラフェスティバル』は、中でも最大のものだ。それら大きなイベントの多くは、踊りの美しさなどを競う、いわゆる競技会である。 プリンスロット・フラフェスティバルの特徴のひとつは、競技会ではないということ。つまり、踊りを競うのではなくて、ハワイの文化と伝統を披露して、みんなでシェアするという大会なのである。プリンスロット・フラフェスティバルは、競技会の形式をとらないフラの大会としては、ハワイ最大のものである。 そういうこともあってか、出演者も観客も、比較的リラックスした和やかな雰囲気のなかでフラが披露される。観客の前で踊るのは今大会が初めてというダンサーも少なくない。 「彼女たちは、今日がデビューなんです!」 などとクム(先生)が紹介すると、観客からは大きな拍手が起きる。そんな温かい雰囲気のフラフェスティバルだ。 だからといって、内容が生ぬるいわけではない。厳かなカヒコ(kahiko、古典フラ)も優雅なアウアナ(ʻauana、現代フラ)も、みんな真剣そのもの。メレ(音楽)だってほとんどが生バンドによるクオリティの高いライブ演奏だ。衣装もレイも、ため息が出るほど美しい。1日中観ていても飽きない。 『フラガールとイリマ』| イラスト:崎津 鮠太郎 マリア・カウ賞 1日目、ハーラウによるフラが始まる前に、モアナルアガーデン財団によるマリア・カウ賞(Malia Kau Award)の授賞式がある。2014年に始まった賞で、今年が3回目。長年にわたるハワイの伝統文化の保存とフラへの貢献が讃えられ、毎年2人のクム・フラ(kumu hula、フラの先生)が受賞する。グラミー賞でいう特別功労賞生涯業績賞のようなもの。今年は、コリン・アイウ氏(Coline Aiu)とキモ・ケアウラナ氏(Kimo Keaulana)が受賞した。 「この木なんの木」がある場所 会場のモアナルアガーデンは、テレビCMでおなじみの「この木なんの木気になる木」があることでも知られる公園である。日本人には有名なあの巨木は、モンキーポッドという。熱帯アメリカ原産のマメ科の高木で、ハワイには1847年に移入された。CMの映像でもわかるように、モンキーポッドは、大きな傘を広げたように枝が伸びて広い木陰を作る。 巨大なモンキーポッドの木陰で行われるプリンスロット・フラフェスティバル モアナルアガーデンには、「この木なんの木」の他にもモンキーポッドの大樹が何本もあり、プリンスロット・フラフェスティバルは、そのモンキーポッドの木々の木陰で行われる。フラを鑑賞するには絶好のロケーションだ。観客はそれぞれ椅子や敷物を持ってきて、ゆったりとピクニック気分で木陰の涼しい風に吹かれながらフラを楽しむことができる。 パー・フラ(フラのマウンド) 会場の前方中央に、パー・フラ(pā hula)と呼ばれる、フラを踊るための広いマウンドがある。パー・フラは、古代ハワイのモアナルアにたくさんあったという。プリンスロット・フラフェスティバルのパー・フラは、1980年に作られたもので、カマイプウパア(Kama‘ipu‘upa‘a)と名付けれてている。 パー・フラはきれいに芝で覆われていて、その背後は、キー(ティ)の葉が生い茂っている。頭上は天を覆い尽くすモンキーポッドの枝々と葉っぱ。そんな緑一色の景色のなか、色とりどりのダンサーがマウンドにあがり、フラを披露する。まことに絵になる。 最後は会場全員で『ハワイ・アロハ』を合唱 2日目、すべてのハーラウの演技が終わると、最後に観客全員が立ち上がり、みんなで『ハワイ・アロハ』を歌う。隣の人と手をつないで歌う。親子も、恋人たちも、老夫婦も、手をつないでみんな歌う。会場が大きなアロハで包み込まれる。このときはいつも、ハワイで暮らしていてよかったと心から思う。 ——フラを観るのはもちろん楽しみなのだが、私がプリンスロット・フラフェスティバルに毎年足を運ぶ理由は、もしかしたら、モアナルアガーデンという素敵な場所で『ハワイ・アロハ』をみんなで歌うときの、あのなんともいえないピースフルな雰囲気を味わいたいからなのかもしれない。 【追記】2017年以降、プリンスロット・フラフェスティバルはモアナルアガーデンではなくホノルルのイオラニ宮殿で開催されるようになりました。 写真はすべて筆者による撮影

ボブ・ディランのコンサート

初めてのボブ・ディラン 私は、18歳のときから今にいたるまでずっとボブ・ディランの大ファンである。このことは「エルヴィス、ビートルズ、そしてボブ・ディラン」で詳しく書いた。ボブ・ディランのコンサートには、これまで3度行ったことがある。1度目は、私がまだ日本にいた2001年、福岡でのコンサートだった。 私は当時23歳、ボブは60歳の誕生日の約2ヶ月前だった。会場はサンパレス福岡。私と同じ時期からボブ・ディランの大ファンになった母と、大学の音楽サークルの後輩と3人で熊本から観に行った。会場は椅子のある大きなコンサートホールで、我々の席はホールの真ん中あたりだった。英語のMCで紹介され、ボブ・ディランが登場。観客からは大きな拍手と歓声。私も母も、ファンになって5年目で初めての生ボブだ。 1曲目は軽快なブルーグラスの曲。聴いたことがなかったが、後で調べると「Hallelujah, I’m Ready to Go」という曲で、ボブのオリジナル曲ではない。ボブはこの曲を、1999年から2002年にかけてのコンサートで合計37回演奏したそうだ。いきなり知らない曲から始まったので、やや拍子抜けしたのは否めない。しかし今思えば、この時期しか聴けない珍しい曲を聴くことができてよかったということだ。 至福のミスター・タンバリン・マン 1曲目が終わり、すぐに2曲目のイントロに入るが、また何の曲か見当もつかない。しかしこの私の不安は、ボブが歌いだした瞬間、「ワアーッ!」という観客の歓声と拍手とともに消えた。私が、ボブ・ディランに限らず今まで出会ったすべての曲の中で最も好きな曲、「Mr. Tambourine Man(ミスター・タンバリン・マン)」だった。 私も母も絶叫に近い声をあげて喜んだ。 軽やかでメロディアスなオリジナルバージョンとは異なり、重厚で、まるでお経でも唱えるように歌っていく。ボブによる長いギターソロもあり、素晴らしいの一言。あとで新聞で知ったことだが、今回の日本公演で「ミスター・タンバリン・マン」を初めて演奏したのがこの日だったらしい。ラッキーだった。 それにしても、なんという大胆なアレンジだろう。以後の曲もそうだが、イントロだけではなんの曲かわからないものが多いのだ。そして、この時期のボブのライブパフォーマンスの特徴だが、ギターソロを積極的に弾いてくれるのも嬉しい。 往年の名曲たちを堪能 その後ボブは、「Desolation Row(廃墟の街)」、「Just Like a Woman(女の如く)」、「Masters of War(戦争の親玉)」など往年の名曲を次々と演奏していく。ハーモニカのソロでは大きな歓声が起こった。至福の時間だった。9曲目の「Don’t Think Twice, It’s All Right(くよくよするなよ)」は、特に素晴らしかった。軽快なリズムに乗せて、優しくささやくように歌っていた。この曲はイントロですぐにわかった。 アンコール前最後の曲の「Rainy Day Women #12 & 35(雨の日の女)」では、観客が立ち上がり、ステージ前に押し寄せた。我々も負けじと前に行った。母はこのときに何度もボブと目が合ったらしい。 最高潮でフィナーレへ アンコールで再登場後2曲目は、私がボブにはまったきっかけになった曲、「Like a Rolling Stone」だった。震えるほど感動した。そして最後の曲は、フォーク時代の代表曲「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」だった。私はこの2曲のライブバージョンといえば、ライブアルバム「Before the Flood」に収録されているバージョンが最も好きだが、生で聴いたこの日の「Like a Rolling Stone」と「Blowin’ in the Wind」は、また格別だった。 2度目のボブのコンサートは、2010年11月のニューヨーク、そして3度目は2014年4月のホノルルだ。いずれも素晴らしいパフォーマンスだった。

ハワイ神話:火山の女神ペレ

オーヒア・レフアの花
大地を食べる女神 神話のなかのハワイは、八百万(やおよろず)の神の日本神道とやや似ていて、自然現象や動物に神々や精霊が宿る多神教世界である。四大神であるカーネ(Kāne)、クー(Kū)、ロノ(Lono)、カナロア(Kanaloa)を筆頭に様々な神がいるが、なかでも特に知名度が高いのが、火山の女神ペレ(Pele)である。 ハワイのすべての火山活動は、彼女の感情表現であるとされている。ペレアイホヌア(Peleʻaihonua。大地を食べるペレ)という別名が示す通り、彼女がひとたび怒れば、地面はうなりをあげ、火口は荒れ狂うように火を噴き、無限に流れ出る溶岩はたちまち町や村を飲み込んでしまう。衝動的に機嫌が変わり、大地の破壊も創造も行うペレは、予測不能、まさに火山性の神である。 伝説のなかのペレ像 ペレには多くの伝説や民話があるが、よくみられる共通点として、美男子好きで惚れやすく、嫉妬深く、負けず嫌いで、自己中心的で、怒ると情けも容赦もなくなり、しかも絶世の美人であることなどが挙げられる。なんとも人間味に溢れた神でもあるのだ。古代よりハワイの人々は、ペレに畏怖の念を抱きつつも、最大の敬意と信仰心をもって暮らしてきた。 ハーブ・カワイヌイ・カーネ(Herb Kawainui Kāne)の著作『Pele: Goddess of Hawaiʻi’s Volcanos』(1987年)によると、ペレはときには若い長身の美人であり、またあるときには腰の曲がったしわだらけの老婆として現れ、ときに白い犬を連れていることもあるという。怒ったときには体が燃えあがり、ときには完全な炎の姿にもなる。マーサ・ウォーレン・ベックウィズ(Martha Warren Beckwith)の『Hawaiian Mythology』(1970年)には、崖のように真っすぐ伸びた背中と月のようにふくらんだ胸のたいへん美しい女性だという記述もある。 ハワイに移住してきたペレ ペレは、初めからハワイにいたわけではない。神々の故国からカヌーではるばるハワイにやってきたとされている。ペレの物語には幾つかのバージョンがあるが、以下、大部分を上記の『Pele: Goddess of Hawaiʻi’s Volcanos』とリンダ・チン(Linda Ching)の『Hawaiian Goddesses』(2001年)による。 ペレは、神々の故国で生まれた。母のハウメア(Haumea)は地母神であり実りの女神、父のワーケア(Wākea)は空を支配していた。 ペレは、きょうだいたちと一緒に、兄のカーモホアリイ (Kāmohoaliʻi、鮫の神) のカヌーに乗って故国を旅立った。一説では、ペレが、姉のナーマカオカハイ(NāmakaoKahaʻi、海の女神)の夫を誘惑したために、姉の怒りをかい、故国を追われたとも云われている。 ペレたちは、まずハワイ群島の北の小さな砂州にたどり着いた。ペレは、彼女の尊い火を守るために深い穴(クレーター)を掘らなければならないが、その砂州はあまりにも小さすぎた。そのため彼女らは、ニイハウ島、カウアイ島と、住む場所を探して穴を掘りながら島々を南東に移っていった。 しかし、せっかくペレが住むのに適した土地をみつけて穴を掘っても、ペレを追いかけてきた怒れる姉——水の女神ナーマカオカハイ——が、大洪水を起こして穴を水浸しにしてしまう。ペレはやむなくカウアイ島からオアフ島、そしてマウイ島へと、南東の島々に移動していくことになる。 カウアイ島のような比較的古い北西の島のクレーターの多くは現在沼地になっているが、その理由を伝説では上のように説明していることになる。また、ペレの南東へ移動は、プレート移動にともなうハワイ諸島の誕生と火山活動の過程と一致している。 カウアイ島、オアフ島、マウイ島の3島を例にすると、それぞれが火山活動によって西からカウアイ、オアフ、マウイの順で誕生した。マウイ島の南東にはさらに新しいハワイ島——現在のペレの住処——があり、こちらは今も活発な火山活動が続いている。ハワイ島のさらに南東には、約一万年後に新しく島になるであろう海底火山ローイヒ(Lōʻihi)がある。以上は余談。 ペレは、オアフ島で現在のパンチ・ボウル(プーオワイナ、Pūowaina)やダイヤモンド・ヘッド(ラエアヒ、Laeʻahi)などのクレーターを掘ったが、いずれも海から近すぎて、火をナーマカオカハイの水から守ることができなかった。 姉との決着 オアフ島の次に、ペレはマウイ島のハレアカラー(Haleakalā)に目をつけたが、このときついに姉ナーマカオカハイは、ペレと決着する決意をした。これを知った兄カーモホアリイは、ペレに助太刀することを申し入れた。しかしペレは、これは自分と姉との戦いであるといい、兄の申し入れを断った。ペレは、あくまでも姉と一対一で勝負をしようとした。 しかし、ナーマカオカハイにそのような自尊心はなかった。ただ憎き妹がいなくなるだけでよかった。ナーマカオカハイは、ハウイ(Haui)という海蛇を同盟者として連れて現れた。ただでさえナーマカオカハイ(水)はペレ(火)よりも本質的に強い。そのうえ海蛇まで敵にまわすとなると、ペレに勝ち目はなかった。ペレは、マウイ島ハーナ(Hāna)の近くで、姉によってバラバラに引き裂かれてしまった。 戦いが行われた丘は、カイヴィオペレ (KaiwioPele、ペレの骨) と名付けられ、ペレの肉体はそこに眠っているとされている。 神となったペレ 肉体から精霊は解き放たれ、ペレはいよいよ神となった。ペレは、まずハレアカラーに鎮座した。しかし、ハレアカラーは、ペレが自身を温め続けるには巨大でありすぎた。そこでペレは、家族を集め、ハワイ諸島の東の端であるハワイ島のキーラウエア(Kīlauea)に移動した。これが最後のチャンスだ。ペレはその地で、エレパイオという森の小鳥のさえずりを聞いた。吉兆を感じた。予感の通り、キーラウエアは、ペレにとって理想的な大きさと場所だった。長い旅の末、ついに安住の地に辿り着いた。 ペレは現在、キーラウエア・カルデラのハレマウマウ・クレーター(Halemaʻumaʻu Crator)に住んでいるとされている。キーラウエアが、今日世界でもっとも活発な活火山であるのも納得だ。 ペレの現在の住処といわれているハレマウマウ・クレーター(2010年6月) ペレに捧げられた植物 キーラウエア付近にもたくさん自生するオーヘロ(ツツジ科)は、ペレに捧げられる神聖な植物とされている。昔のハワイ人は、オーヘロの果実を食べる前には必ずペレに果実を奉納し、祈りをささげてから食べていたという。 『ハワイ島の木』であるオーヒア・レフア(フトモモ科)も、ペレとの関わりが深い。オーヒア・レフアとペレの伝説については、私が制作している姉妹サイト、アヌヘア:ハワイの花・植物・野鳥図鑑の「オーヒア・レフア」のページに詳しく書いたので興味がある方はご覧いただきたい。 オーヘロ(ハワイ火山国立公園で撮影) フラの守護神 ペレには、踊り(フラ)を司る神としての一面もある。ペレと、その最愛の妹ヒイアカ(Hiʻiaka)、そして同じくペレの妹であるラカ(Laka、愛と富の女神、フラの女神)の三柱は、フラの至高の守護神であり、フラのメレ(歌)やチャントには、これらの神々に捧げるものが多数ある。 写真はすべて筆者による撮影 参考文献 Martha Beckwith『Hawaiian Mythology』University of Hawaiʻi Press(1970年)Linda Ching『Hawaiian Goddesses』Hawaiian Goddesses Publishing Co.(2001年)Herb Kawainui Kane『Pele: Goddess of Hawaiʻi’s Volcanos』Kawainui Press(1987年)

ハワイモンクアザラシ(ハワイアンモンクシール)

ハワイモンクアザラシ(ハワイアンモンクシール)
熱帯のハワイにアザラシ? ワイキキのカイマナ・ビーチで夕方泳いでいたら、浜辺にアザラシが突然現れた。ハワイに生息する野生のアザラシ、ハワイモンクアザラシ(タイヘイヨウモンクアザラシ)だ。 アザラシといえば、海に流氷が浮いているような寒い地域に棲んでいるというイメージが一般的にあるので、ハワイにアザラシがいるなんて意外に思う人もいるかもしれない。ハワイモンクアザラシは、熱帯のハワイに生息する珍しいアザラシで、世界でハワイ諸島にしか生息していないハワイ固有種である。 ハワイではよく知られている動物で、ビーチや岩場にあがってきて昼寝をしている姿をたまに見ることができる。オアフ島では、自然保護区になっているカエナ・ポイントなどで見られる確立が高い。サーファーが波待ちをしていたら、すぐそばに体長2メートルもあるアザラシが顔を出して驚いたなんて言う話もサーファーの友人から聞いたことがある。 オアフ島最西端のカエナ・ポイントは自然保護区になっていて、ハワイモンクアザラシの姿も見られる 3種のモンクアザラシ 海に棲む哺乳類のなかで四肢がヒレのようになっているアザラシ、アシカ、セイウチなどを、総称して鰭脚類(ひれあしるい/ききゃくるい)という。ハワイモンクアザラシが属するモンクアザラシ属(Monachus)の仲間は、現存する鰭脚類のなかではもっとも古くて原始的なグループだとされている。数百万年前からほとんど姿が変わっていないという。 モンクアザラシ属は、チチュウカイモンクアザラシ(Monachus monachus)、カリブモンクアザラシ(Monachus tropicalis)、そしてハワイモンクアザラシ(Monachus schauinslandi)の3種が知られている。 大西洋や地中海に生息するチチュウカイモンクアザラシは、生息数が500頭以下と極めて少なく、深刻な絶滅の危機に瀕している。カリブモンクアザラシは、その名の通りカリブ地方に生息していたが、1952年を最後に目撃されていない。現在は絶滅したと考えられている。 ハワイモンクアザラシは、チチュウカイモンクアザラシに比べると生息数は多いが、それでも2016年時点での生息数はわずか1,200頭程度であり、こちらも絶滅の危機に瀕している。 名前について 英語ではハワイアン・モンク・シール(Hawaiian monk seal)という。モンク(monk)は、修道士や僧侶のことである。モンクアザラシの首のひだが、修道士が着る修道服のフードに似ていることに由来するそうだ。また、モンクには、ギリシャ語で「一人で暮らす人」という意味もあるといい、モンクアザラシが群れることなく単独でいることが多いことも、名前の由来になっているらしい。シール(seal)は、アザラシのことである。 ハワイ語ではイーリオホロイカウアウア(ʻīlioholoikauaua)という。直訳すると「荒海を駆ける犬」という意味である。 不思議なことに、古代ハワイのチャントや伝承にアザラシは出てこない。だからといって、古代ハワイ人が、アザラシのように大きな動物の存在に気付かなかったとは考えにくい。つまり、ポリネシア人がハワイにやってきて定住してから長い間、アザラシはハワイに棲んでいなかったと思われる。ウミガメを指すホヌ(honu)や、マグロを指すアヒ(ʻahi)などと比べても、イーリオホロイカウアウアというハワイ語名は明らかにやや説明的で、ハワイ人が日常生活のなかでよく使っていた言葉ではないことがわかる。 特徴と生態 体長は2メートル以上、体重は200キロ以上になる。体は銀色がかった灰色。生まれたばかりの子供は全身黒色。野生の状態での寿命は約30年と言われている。 ハワイモンクアザラシの親子(2017年7月、カイマナ・ビーチにて撮影) 潜水能力が高く、海中を自由に素早く泳ぐことができる。深さ200メートル以上潜った記録もあるという。食餌は主に夜に行い、エビ、タコ、魚などを食べる。天敵はサメ、特にイタチザメだが、小型のサメは逆に捕まえて食べることもある。 昼間はビーチなどでぐったりと寝ていることが多い。その姿があまりにも無気力にみえるため、病気ではないかと心配する人も多い。病気ではなく、夜の狩りのためにたっぷりと休憩しているだけなので、むやみに近づいたり邪魔をしたりすべきではない。ハワイモンクアザラシに危害を加えることは、法律でも禁止されている。 カイマナ・ビーチにあがってきたハワイモンクアザラシの背中には、個体の行動を調査するためのトランスミッターが装着されていた。もちろん、ハワイモンクアザラシの生態を調べ、絶滅から守るためのものであろうが、背中にあのような大きい装置を付けられてストレスにならないのだろうか。今の時代、もっと小型のICチップのようなものにならないものかと、素人の私は思った。 写真はすべて筆者による撮影 参考文献 Patrick Ching『The Hawaiian Monk Seal』University of Hawaiʻi Press(1994年)

ホノルル海さくら:ハワイでビーチクリーン

ホノルル海さくら
海さくらとは 友人に誘われて、ビーチクリーンと呼ばれる、海沿いのゴミ拾いボランティアに参加した。開催者は、ハワイ在住の日本人を中心に活動している「ホノルル海さくら」というボランティア団体だ。 海さくらは、神奈川県の江ノ島を拠点にゴミ拾いを中心とした多方面な活動をしている団体で、日本には他に大阪海さくら、石巻海さくらなど、5箇所に拠点が置かれている。 私が参加したホノルル海さくらは、海さくら初の海外拠点として、2012年に設立された。以来、毎月末の日曜日にビーチクリーンを続けている。4月の熊本地震の際には募金活動を行ったり、チャリティイベントを開催したりもした。 ビーチクリーン当日 ホノルル海さくらがビーチクリーンを行うマジックアイランド 午前9時半、集合場所であるアラモアナセンターの道路を挟んで向かい側にあるビーチパークの入り口に行ってみると、すでに40名ほど集まっている。 参加者が揃ったところで海辺に移動した。代表者の挨拶があり、3回目の参加者に景品としてホノルル海さくらオリジナルのタオルが贈呈された。6回目の参加者には「ブラックタオル」と呼ばれる特別な黒色のタオルがもらえるという。実はこの「ブラックタオル」は、私がデザインさせていただいた。私にできることで少しでもグループの力になれて嬉しく思う。今後オリジナルTシャツの制作も検討中とのことで、また私がデザインを手伝わせていただく予定だ。 また、地元ホノルルの多くの商店や飲食店などが、ホノルル海さくらの活動趣旨に賛同し活動を支援するために、割引券やグッズなどを進呈してくれるという。それらはビーチクリーン後にゲームやコンテストを企画して、参加者に景品として配っているそうだ。 午前10時、各自にゴミ袋、手袋、トングが配られて、約1時間、海沿いを丹念に歩いてゴミを拾って歩いた。ビーチクリーンというからてっきり砂浜を掃除するのかと思っていたが、マジックアイランドという人口の半島の岸辺のゴミ拾いだった。 一見きれいにみえるマジックアイランドだが、気をつけながらゆっくり歩くとたくさんのゴミが落ちたり流れ着いたりしていた。ゴミの内容は主に空き缶、空き瓶、食べ物のパッケージ、袋、衣類、釣り糸など。一時間で私の大きなゴミ袋はいっぱいになった。そのゴミ袋が40人分あるわけだから、相当な量である。それでもこの日は少ない方だったというから驚きだ。 午後はBBQで参加者と交流 ゴミ拾いが終わった後は、参加希望者にはマジックアイランドでBBQが用意されていた。ランチを食べながら参加者と交流を深めることができた。参加者はほとんどが日本人で、留学生やハワイ在住の社会人のほかに、短期で旅行に来ているという人もいた。 ハワイの環境について考えるいい機会になったし、新しい友人もできた。また機会があればぜひ参加したい。

ハワイ神話:月の女神ヒナ

ココ・ヘッドと満月(オアフ島)
月に暮らす女神 月にはヒナという女神が暮らしていて、毎日カパ布を作っている……。日本では、月にはウサギがいて餅をついているというのが定番だが、ハワイでは、月を見上げるとヒナと彼女の瓢箪の容器が見えるといわれている。 ヒナ(Hina)は、ハワイだけでなく、タヒチやその他の地域の神話にも登場する、ポリネシア地域でもっとも古い女神である。古代太平洋地域での女性や母の象徴であったようだ。ハワイ語で女性のことをwahine(ワヒネ)というが、この言葉はヒナに由来するらしい。 ヒナが登場する神話は内容が様々だが、月や海に関連する話が多い。月を表すハワイ語のひとつにmahina(マヒナ)があるが、これもヒナと関係しているに違いない。 また、ヒナというハワイ語には「白色」や「銀色がかった灰色」という意味がある。これは、月光の明るい色のことを表しているとも考えられる。 月はハワイ語で「マヒナ」と呼ばれる カパ作りの名手 ヒナには、働く女性、特にカパ作りに関係する話も多い。ヒナには次のような伝説がある。 毎日のカパ作りと家族との確執に疲れたヒナは、瓢箪の容器に彼女が気に入っているものを入れてハワイを逃げ出した。虹の道を登って太陽に行ってみたが、太陽は彼女には暑すぎた。次の日の夜、ヒナは再び虹の道を渡って今度は月に移り、そこで暮らし始めた。ヒナがハワイを去るとき、ヒナの夫が引き止めようとしてヒナの足をつかみ引きちぎってしまったのだが、それでもヒナは、平和な月で安らかに暮らしている。 またある伝説では、ヒナは、月に逃げるときに彼女のカパ作りの道具一式も持っていったという。ヒナはカパ作りの名手で、彼女が作る白くて柔らかいカパは極上の品質であるという。満月の夜、月の周りにたまに白い積雲が現れるのは、ヒナが新しく作ったカパを乾かしているからだといわれている。 たくさんの名前 ヒナには以下のような名前のバリエーションがあるという。マラマ(malama)は、ハワイ語で月を表すもう一つの言葉。 Hina-hanaia-i-ka-malama ヒナ・ハナイア・イ・カ・マラマ(月で働くヒナ) Hina-i-ka-malama ヒナ・イ・カ・マラマ(月にいるヒナ) Hina-i-kapaʻi-kua ヒナ・イ・カパイ・クア(カパ布を作るヒナ) Hina-hanai-a-ka-malama ヒナ・ハナイ・ア・カ・マラマ(月で滋養を蓄えたヒナ) さらにヒナは、hualani(フアラニ、天国の果実)と呼ばれるスイートポテトの一種とも関連がある。「月で滋養を蓄えたヒナ」という意味のヒナ・ハナイ・ア・カ・マラマという名前は、ヒナが月でこの芋を発見したという伝説に由来するそうである。  ヒナとバニヤンの木 インディアンバニヤン(ホノルル市内で撮影) さらに別の物語では、月の表面の暗くみえる部分、いわゆる「月の海」は、ヒナが作るカパ布の材料であるバニヤンの木だとされている。ヒナは、そのバニヤンの下にある家で暮らしているそうだ。あるとき、ヒナがバニヤンに登って、カパの材料となる樹皮を採るために枝を折ったが、誤って枝を地球に落としてしまった。その枝が地球で根付いて、最初のバニヤンの木になったという。 ヒナの絵本 ハワイの書籍店のハワイアンコーナーや絵本コーナーをのぞいてみると、ヒナが主人公の絵本がいくつかある。ミハエル・ノーデンストローム作の『Hina and the Sea of Stars』という絵本を手に取って読んでみたが、カラフルな絵とシンプルな英語で、数あるヒナの伝説の断片を繋げて物語が作られていた。またノーデンストローム氏の同じシリーズとして、火山の女神ペレが主人公の絵本もあった。2冊セットで、お子さんへの英語勉強も兼ねたハワイのお土産にいいと思う。 ワイキキのビルの間から登る満月。2014年8月10日、この日の満月はスーパームーンだった。月を見るたびにヒナやバニヤンの木のことを思うが、私の目にはやはりウサギに見えてしまう。私にもいつかヒナや瓢箪の容器、それにバニヤンの木が見えるときが来るだろうか。 写真はすべて筆者による撮影 参考文献 Martha Beckwith『Hawaiian Mythology』University of Hawaiʻi Press(1970年)Dietrich Varez『Hina: The Goddess』Petroglyph Press, Ltd.(2002年)